●杉浦翠子は明治37年(1904)4月に19歳で結婚。夫・非水の友人である北原鉄雄を介して北原白秋に、さらに斉藤茂吉に師事。大正5年(1916)、当時、写実主義を掲げ、斉藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉、古泉千樫らを擁して歌壇の主流になりつつあったアララギに入会。本格的に短歌の道に進む。
大正6年(1917)5月、初の歌集「寒梅集」を、同10年(1921)には第二歌集「藤波」を出版。原阿佐緒、三ヶ島葭子とともにアララギの三歌人と呼ばれるほどになっていた。同12年5月号の「アララギ」誌上で突如、「・・・全然歌になっていない・・・一種の狂態をあらはしたに過ぎなくなる」と酷評を受け、12月にアララギを脱会。翌13年に香蘭に入会。
昭和三年の短歌集「朝の呼吸」の中の歌論「短歌における私の鑑賞態度」でアララギの写実主義を激しく批判、「激情の歌人」と言わしめた。
杉浦非水:装丁、杉浦翠子「朝の呼吸」(福永書店、1928年)
昭和8年6月に香蘭は見解の違いから破門、昭同年11月、自ら主催者となり「短歌至上主義」を創刊。
杉浦非水:装丁、「短歌至上主義」
同12年の歌集「浅間の表情」では「主知的短歌論」を掲げ、従来の女性短歌の境地から広く社会に目を向けた新しい短歌を発表。その後、短歌集「不死鳥」「日の黒点」を出版。
関東大震災から円本全集ブームが下火になる昭和5年くらいまでの10年にも満たない期間だが、非水の装丁は最も充実していてよい装丁が多い。時期的にはアールデコの時代で、非水はイギリスへ遊学するが関東大震災の知らせを受けて急遽帰国する。
イギリスでアールデコ様式を目の当たりにしたのかどうか、資料的には残されていないが、確かにイギリスから帰国した以後の非水の装丁は大きく変わった。アールヌーボー様式からアールデコ様式へと大変身した。
そして装丁家として最も充実したこの時期に、妻・翠子の著作物に捧げた装丁に最高の傑作が誕生しているのは、オシドリ夫婦といわれていた由縁でもあろう。杉浦翠子『創作愛しき歌人の群』(福永書店、昭2)は中でも最も高く評価している大好きな装丁だ。
杉浦非水:装丁、杉浦翠子『創作愛しき歌人の群』(福永書店、昭2)
そんな翠子が亡くなった翌年昭和36年4月、夫・非水(朝武)は編集兼発行者となった『行雲流水 追悼歌文集』を藤浪短歌会から限定本として刊行する。手元にあるのはその162番。これがいわゆる饅頭本といわれるものだ。葬式饅頭の代わりに配られるのでこのような呼び方がされたのだろう。いかにも愛妻家非水らしい。
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