画文集・詩画集に興味を持ちはじめ、本棚を探してみたら、前回掲載した作品の他にも与謝野晶子他『恋衣』(本郷書院、明治39年)、島崎藤村『若菜集』(春陽堂、明治30年)、蒲原有明『春鳥集』(本郷書院、明治38年)などなど次々に出てきた。



与謝野晶子他『恋衣』(本郷書院、明治39年)、乱丁本なので、絵の方を見やすい方向にして掲載した。『みだれ髪』と判型が同じで、中沢弘光が描いたアール・ヌーボー風の挿絵が7点挿入されている。そのうちの1点がこの「秋」? 「?」としたのは、目次には7点の挿絵のタイトルが記載されているが、実際には6点しか挿入されておらず、果たしてこの絵が「秋」なのか「冬」なのか判断が出来ない。首に巻いているのは、獅子舞のタテガミのようなショールなのか。そうだとするとこの絵のタイトルは「冬」なのか。長い髪の毛のように描かれており、これがアール・ヌーボーを意識していると思うゆえんだ。


「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」という詩「初恋」などで知られる島崎藤村の処女詩集『若菜集』(春陽堂、1897年)にも24点の挿絵が挿入されており、詩画集である。しかし、この絵について、一体誰が描いたものなのかについての説明はどこにもなく、時期的にまだ詩画集としての認識がなかったのか、出版者や著者にとっては挿絵画家をあまり重要視していなかったように思える。



島崎藤村の処女詩集『若菜集』(春陽堂、1897年)復刻版



島崎藤村の処女詩集『若菜集』(春陽堂、1897年)



島崎藤村の処女詩集『若菜集』(春陽堂、1897年)、この絵の右下には銀杏のマークの署名が書かれている。この見事な挿絵は、当代随一の洋画家に違いないと思ってはいたが、「詩集の挿画が、詩の内容に対応するように描かれているのは島崎藤村中村不折の『若菜集』(1897〔明治30〕年8月)が先例となっている。」(木股知史『画文共鳴』岩波書店、2008年)とあり、中村不折が描いたということは、専門家の間では周知のことのようだ。



青木繁:画、蒲原有明『春鳥集』(本郷書院、明治38年7月)復刻版ジャケット。包装紙のように見えるこのジャケットは古書ではなかなか見られない。



青木繁:画、蒲原有明『春鳥集』(本郷書院、明治38年7月)

青木 繁《海の幸》(1904年) 石橋財団石橋美術館所蔵 重要文化財


詩集に挿入された絵は、説明するまでもなく今では重要文化財でもある青木繁(1882−1911)「海の幸」(1904年)だ。美術学校を卒業した青木が、その夏、恋人や友人と遊んだ房州布良(めら)での体験を描いた《海の幸》。絵の中央辺りで一人だけ絵を見ている人の方に視線を投げ掛けているのが福田たねだと言われている。白馬会に出品されて一躍名声をあげ、詩人蒲原有明を感激させ親交の機縁となるなど、当時の浪漫派詩人たちに歓呼の声で迎えられた。


翌年福田たねとの間に未婚のまま一子幸彦(福田蘭童(らんどう))が生まれた。しかしこの時が絶頂期で、恋人福田たねと愛息との生活を守ることもできず、困窮のうちに輝きを失って行く。父の死によって久留米に呼び戻され、福田たねとも肉親とも縁を絶ち、郷里を放浪して28歳の若さで波乱の生涯を終える。再起を期して出品した《わだつみのいろこの宮》も明治40(1907)年の東京府勧業博覧会での評価はふるわず、この年開設された文展にもついに登場することはなかった。


今でこそ、近代洋画史上に燦然たる地位を確立している青木繁だが、不遇の生涯を送ったようで、何とも不憫でむなしい。