池波正太郎の絵と中一弥

「池波さんは、若いころは鏑木清方の弟子になりたかったんだよ、とよく言っていました。それくらいの人ですから、自分でも素人絵を描いていました。なかなか巧い絵を描いていました。池波さんが憧れた鏑木清方は、若いころ挿絵も描いていたんです。それで、挿絵に対する憧れもあったんでしょう。実は、それがついに、『週刊文春』で実現するわけです。すると、今度は、僕のほうはお構いなしになっていくわけですよ。でも、これはもう、池波さんを責めるわけにはいかない。」


「『鬼平犯科帳』も、終わりのころは、池波さんご自身が描いています。これは、僕もいけなかったんです。。あるとき、僕は口が滑って、池波さんにはいろいろ描かせてもらったけれど、絵にするには『仕掛人・藤枝梅安』(昭和四十七年〜平成二年)がいちばん面白かった、というような話をぺろっとしちゃったんです。……もちろん、池波さんご本人が、どのように考えていたかはわからない。作家のイメージと挿絵画家のイメージがピッタリ重なることはなかなかありませんから。それで、『鬼平』も面白いけど『梅安』は、いいですよ、なんて感想をうっかり洩らしてしまったんです。それじゃあ、『鬼平』は自分が描こうか、ということになった。」(末國喜己『挿絵画家・中一弥』)
と、プロの絵師を嘆かせるほどに、池波の絵はいい絵だったようだ。


池波正太郎著者自装『食卓の情景』(新潮文庫、昭和55年)、『夜明けのブランデー』(文春文庫、昭和64年)

『夜明けのブランデー』のブルドックの左には、池波のサイン「sho」が確認できる。本文中にも、素人絵といっては失礼なほどに、個性的で魅力溢れる絵をたくさん掲載している。



池波正太郎著者自装『食卓の情景』(新潮文庫、昭和55年)、『夜明けのブランデー』(文春文庫、昭和64年)本文中より