神保町・東京堂書店に「本の手帳」10号50冊を持って、納品に行ってきた。そのついでに、ちょっと古書市によってみたら苦楽社版「苦楽」創刊号が300円で売られているのを発見、速購入。


中山太陽堂が設立したプラトン社版「苦楽」と戦後に創刊した苦楽社版「苦楽」の違いを調べていないのであまり立派なことは言えないが、大阪の化粧品会社「中山太陽堂」(現クラブコスメチックス)が1922年(大正11年)に設立した「苦楽」は、1928年(昭和3年)、6年間をもって廃業した。その後については、ウィキペディアによると、
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、かつての『苦楽』寄稿者であった小説家・大佛次郎がその復刊を目指し、川口松太郎を通じて、プラトン社の経営者だった中山豊三の実兄で、中山太陽堂の創業社長・中山太一から誌名を譲り受けた。鎌倉文庫にいた田中延二、『モダン日本』編集長だった須貝正義らをスタッフとして、「苦楽社」を設立、同年10月号から第2期『苦楽』を創刊した。当時海軍放出の用紙を抱えていた文寿堂が出資者となっており、用紙も豊富だった。」


「創刊号の執筆者は、小説が大佛の他に、久保田万太郎上司小剣、長田秀雄、白井喬二加藤武雄、吉屋信子、宮川曼魚、随筆に平山蘆江菊池寛里見紝、佐藤垢石、喜多村緑郎花柳章太郎内田誠、短歌・俳句に吉井勇中村汀女などであった。表紙は鏑木清方美人画で、「アナクロ」「江戸の通人趣味」などと批判されたが、13万部売り切れとなった。大佛は編集の意図として、「日本の文化に否定的な時世への反抗」であることを述べ、また「青臭い文学青年の文学でなく社会人の文学を築きたいと志している」と書いたように、主な対象読者は中年以上で、清方の表紙、名作絵物語安藤鶴夫『落語鑑賞』、菊池寛『新今昔物語』などの連載に人気があった。……1949年(昭和24年)9月号を最終号として廃刊に至った。全35号。」とある。



鏑木清方:画、『苦楽』創刊号(苦楽社、昭和23年11月1日)



山名文夫:画、「苦楽」創刊号扉(苦楽社、昭和23年11月1日)



中川一政:画、「苦楽」創刊号巻頭の名作絵物語(苦楽社、昭和23年11月1日)




岩田専太郎:画、久保万太郎「秋の日」(「苦楽」創刊号、苦楽社、昭和23年11月1日)
実はこの岩田専太郎の絵が掲載されていたから購入したのだが、戦争でのブランクがあったせいか、戦前に女性を描いて咎められたのが尾を曳いているのか、モデルがいないと気が乗らないという専太郎は、まるで精彩がない。戦後の第一段だと思われるが、まだ拍車が掛っていなかったようだ。


古書市で疲れたので帰ろうと思ったが、気を振り絞って更にもう一軒、古書モールに寄ってみた。古本屋巡りになるとなぜかふだんは全くない「粘り」が出てしまうんだよね。一回り見て、レジのあるガラスケースの上に、古そうな雑誌が沢山積んであったので、漁ってみたら、なんとさんざん探しまくっても見つからず、ネットで5,000円もするのしか見つからなかった雑誌があった。わずか52頁のぺらぺらの冊子に5,000円は払えないと思いながら、ずっと探し回っていた「トップ」を安く売っているのを見つけた。これも速購入。