「鞍馬天狗」は大正13年に『ポケット』(博文館)へ「鬼面の老女」を発表していらい、「鞍馬天狗 地獄太平記」まで、長短合わせて37本もの天狗がある。


「『鞍馬天狗』は関東大震災が原因となって誕生した。つまりそれをきっかけに外務省とも縁を切った大佛次郎が、糧道をつけるためにマゲモノを書いたのが「隼の言辞」、つづいて「鬼面の老女」だったわけだが、鞍馬天狗の名前はもちろん謡曲の『鞍馬天狗』から得たアイディア。その場かぎりのつもりだった作品がいつのまにかシリーズとなり、一本立ちして、気がついて見ると、作者は自分の意思でなく「鞍馬天狗」にひきずられて、物を書く人間になっていたという。知らず知らずのうちに作者の心が鞍馬天狗に反映したのも当然であろう。」(尾崎秀樹『さむらい誕生』講談社、昭和40年)と、大仏がマゲモノを書き始めるきっかけを書いている。



挿絵:苅谷深隍、大佛次郎鞍馬天狗 女郎蜘蛛」(「ポケット」大正13年


高橋康雄『夢の王国』(講談社、昭和56年)には、更に詳しく書いてあるので引用してみよう。
「ロマン・ローランやアンリ・ド・レニエをはじめ、もっぱら翻訳というべくバタくさい仕事にたずさわっていた大仏がなぜ、突然に髷物小説小説を書き始めたかというと、関東大震災後、汽車が不通になったのを幸いとして外務省をやめてしまい収入の道を失くしてしまったからである。いままで翻訳を載せてもらっていた『新趣味』の編集長であった鈴木徳太郎が娯楽雑誌『ポケット』に移ったということで訪ねてきた。『ひょっとして、あなたが髷物を書くような時は、原稿を拝見しましょう』といった。


大仏は『私の方でもちょん髷ものなんか書けるものではないと知っている。鈴木さんも明らかに私をそうみて『左様なら』を言いに来たものであった。」とあきらめた。が、背に腹はかえられない。歳末がせまってから『ポケット』を一冊、買ってきて講談体の読みものに挑戦。博文館に持参し、鈴木にみせたところ合格で、ある。それが、『隼の源次』であるが、ここに初めて大仏次郎の筆名が記録された。


つづいて『鬼面の老女』と題した中編を書いた。主人公の武士の名乗る名を鞍馬天狗とした。謡曲の『鞍馬天狗』から思いついたのである。本人は、その場限りのつもりでいたが、鈴木からは、鞍馬天狗を主人公にした連載の催促である。」と、生活に困って書き始めたのが、いつの間にか連載小説になってしまったようだ。



挿絵:苅谷深隍『怪傑鞍馬天狗 御用盗異聞』(「ポケット」大正14年