桜井書店版、徳田秋声『挿話』の装丁を読む

 昭和十五年に創立した桜井書店に興味を持ったのは、当時集めていたデザイン関連書物、辻克己『図案・文案 広告資料大集成』、辻克己『新編増補応用彩色図案集』などを刊行する大同出版と、発行人が同じ桜井均であることに気がついたことであった。なぜ二社を経営していたのか。なぜ出版が困難な戦時中に経営的に難しい文芸出版社を創設したのか。などなど、自称・装丁史研究者にとっては格好のテーマを見つけたからである。
 そんな桜井書店から徳田秋声の著書、『土に癒ゆる』(昭和十六年、棟方志功:装丁)、『挿話』(昭和十七年二月二十日、吉岡堅二:装丁)が刊行されている。

棟方志功:装丁、徳田秋声『土に癒ゆる』(桜井書店、昭和16年4月15日)



吉岡堅二:装丁、徳田秋声『挿話』(昭和17年2月20日


 『挿話』は、「桜井版名作選書」というシリーズの一冊で、ほかには宇野浩二『夢見る部屋』(昭和十七年二月二十日)、武者小路実篤『息子の結婚』(昭和十七年四月二十日)がある。

印刷が薄く十数年間このシリーズ名に気がつかなかった。画像はパソコンでコントラストをつけて文字がはっきり見えるようにした。



吉岡堅二:装丁、宇野浩二『夢見る部屋』(昭和17年2月20日)、この本だけは函入りではなくカバー装のため題字の位置や装画が他の2点とは左右逆になっているが、なぜカバー装にしたのかは、いまのところ不明だ。



吉岡堅二:装丁、武者小路実篤『息子の結婚』(昭和17年4月20日


いずれの装丁も、函には吉岡堅二のクチナシの実を描いた多色刷り木版画が、表紙には雀を描いた多色刷り木版画が使われ、題字を差し替えただけの全く同じデザインである。一見瀟洒ではあるが、時代背景を考えると、出版社としては最大の配慮を施した手の込んだ豪華な函入上製本で、桜井のこの本に注いだ情熱の程ををうかがい知ることができる。


 『夢見る部屋』の奥付に「初版二千部発行」とあり、他の二冊も同じ部数で発行されたものと思われるが、これだけの冊数を多色刷り木版画で装丁するとなると、その労力は並大抵のものではなく、今日、この装丁を再現するのは不可能と思われるほどである。
 しかし、この『夢見る部屋』だけはなぜか、函入りではなくジャケット(カバー)装なのが気になった。函とジャケットでは画像のレイアウトが左右逆になるので、逆版の版画をもう一組作ったのだろうか?


 『挿話』の装丁を依頼した頃の吉岡堅二は、大正15年、二十歳の時に第七回帝展初入選し、昭和五年には帝展特選受賞。昭和八年にも帝展特選受賞と華々しい経歴を持つ画家で、昭和十三年には新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開する一方、従軍画家としても中国に赴くなど、日本を代表するような大御所だった。そんな画家に唐突に装丁を依頼することは難しいと思われるが、依頼を承諾させたところに桜井の編集者としての秀でた手腕も垣間見る事が出来る。(つづく)