小田富彌、岩田専太郎、志村立美といえば、3人とも美人画を思い浮かべるが……



挿絵:小田富彌、初めて挿絵として登場した左膳。迫力ある構図、動きのあるポーズ、いかつい顔、どれをとってもスキがなく、なんともいい絵ですね。




小田富彌装画、林不忘『大岡政談』(新潮社、昭和13年
他流試合はしないので「又の日にお越なさい」と断る道場に対して、「道場破りに又の日も何時の日あるめえ。こら!こいつら、これが見えるか」と「独眼隻腕の道場荒し丹下左膳」は、道場の看板を外して「カアツ、ペツ!青痰を吐つかけ」て、強引に試合に挑もうとする。



志村立美装画、林不忘丹下左膳』(寶雲舎、昭和24年)
黒襟白紋付きの襟がグレーになっているのには、何か意図があるのだろうか?



岩田専太郎装画、川口松太郎『新篇丹下左膳』(矢貴書店、昭和22年)


多田道太郎川口松太郎『新篇丹下左膳』について「作者・林不忘の急逝後、片目片腕の由来を『新篇丹下左膳』のなかでかいたが、こうなると左膳の奇怪な魅力は片なしである。」(『林不忘』解説(『カラー版国民の文学』河出書房、昭和43年)と川口松太郎へのバトンタッチが失敗に終わったことを嘆いた。


その理由はこうだ。「美剣士喬之助は、心情的にはさほど左膳から遠いところにいるのではない。ただ左膳の人物像としての強みは、喬之助のように恨みの動機、対象がはっきりしていないところにある。得態の知れぬ怒りと恨み……。
したがって、彼の片目片腕は、どこでどうしてこうなったか、という詮索をゆるすものではない。彼の不具性は、もっと根源的なものである。つまり、根っからの「片目片腕」でなくては、左膳のあの凄みは出てこない。」(前掲)と、行間からあふれるすごさや恐怖感は、合理的な解説などないほうが良かったというのだ。卓見に満ちた主張に納得!! 


「人間味のでてきた左膳などは、肥ってきた左膳みたいなもので、どうにも据り心地のわるひものである。」(前掲)と、どこまでも納得させられてしまった。拍手〜〜!!