恩地は夢二がつくる水路に流れ込む水のように、『春の巻』の一読者から始まり、「都会スケッチ」「桜さく国」の投稿者となり、『悪魔研究』では装丁を手がけるというように、徐々に書物の製作者へと導かれていった。夢二の孝四郎に寄せる思いは強く、夢二の著書57点のうち、装丁を他人に任せたのは、孝四郎にゆだねた『どんたく』『小夜曲』『夢二抒情画選上・下』3点のみであり、孝四郎への信頼の高さが伺われる。なお、この頃にはまだまだ装丁家名を表記するのは少なく、まして執筆者と並記されるのは稀なことであるが、『どんたく』には竹久夢



恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『どんたく』(実業之日本社、1913〈大正2〉年)



恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『どんたく』(実業之日本社、1913〈大正2〉年)、竹久夢二の名前と恩地孝四郎の名前が並記されている前扉



恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『小夜曲』(新潮社、1913〈大正4〉年)、紫色ビロード装、金箔押。扉には「恩地孝装幀」とあり、孝四郎ではなく本名を使っている



恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『夢二抒情画選集・上』(宝文館、1927〈昭和2〉年)