活字での画家名記載がないので誰が描いたのか判断が難しい挿絵だが、運良くサインがあった。「せつ」とクローバーのような記号が記されている。直ぐにひらめいたのは長沢節(1917年-1999年)。掲載誌「少女の友」(昭和19年12月)が発行された時の長沢は27歳なので長沢のサインの可能性は充分にある。戦前から『新女苑』、『それいゆ』、『ひまわり』といった雑誌に挿絵を寄稿し、1954年、節スタイル画教室(後のセツ・モードセミナー)をサロン・ド・シャポー内の一室で始める。画像右は長沢節『弱いから、好き』(文化出版局、

shinju-oonuki2012-03-19


解明できそうで出来ないハーモニカの楽譜の表紙に記されたサインの例だ。「磨」という一字だけは読めるが、これだけでは画家の名前と結びつかない。このサインはこれまでの501人のサインにはない。


これだけ見事な絵とサインがあるのだから、直ぐに誰が描いたのか分かるだろうと思って購入した「通俗医学」だが、これが以外と分からない。サインは「ウンぺー」と判読できるが、名字が分からない。