日本初の水彩画はワーグマンが描いた!

【日本初の水彩画は、ワーグマンが描いた】

 ワーグマン「東禅寺浪士乱入図」。1861年7月5日(文久元年5月28日)夜、江戸高輪の東禅寺(イギリス公使館)に水戸藩浪士が乱入した事件を描いている。

 「東禅寺浪士乱入図」には構図がちがうものがあるから二種以上描かれたものと思われる。

ワーグマン「東禅寺浪士乱入之図」、上の絵とよく似ているが、もう一枚描かれた別の絵だ。


「日本の水彩画、水彩画に限らず日本の近代洋画におけるひとつのエポックが、この、幕末期、おそらくは安政末から文久初年に来日し、以後わが国に在留したワーグマンと接触した洋画家たちによって作られることになったのです。
 ワーグマンは、イギリスの『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の画報記者として来日し、幕末・明治初期の動乱期の日本のありさまを本国へ描き送っていた。もと軍人で、本格的に絵画学修をした画家ではなかったが、挿絵画家として、現実や風俗の描写力はかなり優れている。ワーグマンの水彩画は決して数多くは残されていない。かつて、大正5年(1916)に開かれた日本水彩画沿革展覧会にも、《水売》《髪結》など9点が出品されたにとどまっている。しかし、よく知られているものに《浪士乱入図》があり、これが文久1年5月28日(1861年7月5日)夜半の仮イギリス公使館高輪東禅寺襲撃事件に遭遇した来日間もないワーグマンのその時の水彩画であることを想起すれば、この作品こそ確実な記録をもつ日本における洋風水彩画の最初の記念的作品といえよう。」(陰里鉄郎『日本の水彩画6 名作選I明治』第1法規、昭和57年)


「本格的な洋画法のもち主ではなかったとはいえ、ワーグマンは、油彩画・水彩画において、当時の洋画志望の青年画家たちを魅了するには十分の技術をもつ画家であった。五姓田義松(1855-1915)・高橋由一(1828-1894)らが直接にワーグマンから指導を受け、五姓田・高橋門下の明治初期の画家たちは師を通じてその影響を受けている。」(前掲書『日本の水彩画6』)



五姓田義松「箱根の宿」制作年不明、水彩



高橋 由一「枕橋」1875(明治8)年水彩