2009-06-23から1日間の記事一覧

最新の水彩画

大貫伸樹「酒袋」 大貫伸樹「ブリキの戦車」

外国での水彩絵具はいつごろから普及し始めたのかというと、斎藤泰三『英国の水彩画』(彩流社、1987〈昭和62〉年)によると「十八世紀も八〇年代に至りリーヴス兄弟が固形絵具を発明し、その改良の口火が切られることになった。十九世紀に入ると、一八〇五年にロバートソンなる絵具屋が、触媒としてのこれまでのアラビアゴムの中に、粘着性を与えるために蜂蜜を一部混ぜることを考案した。固形絵具は、年数が経ったり暑い気候のもとでは、乾き切って、なかなか水に溶けなくなったり、日々が入って砕けて粉末になって散ってしまうという欠点が

さらに「改良の次のステップは、この棒状の固形絵具を、現在のように小さな皿に分割しておくことであった。これにより、絵具箱にも入りやすくなって、絵具の容器として小さな磁器製の皿なども作られた。ガーティンの師のデイズは、厚紙で作った小さな型の中…

明治末期に、水彩画のブームがやって来るが、ブームが生まれるには、どうしても誰でもが画材を容易に入手できるような環境が整わなければなければならない。「明治十年から十二年頃までには、絵具に限らず、種々の分野で国産品が登場しはじめている。たとえば、明治八年頃には画用紙が王子製紙によって製造され始め、明治十年には石膏モデルも……東京大学理学部構内工作場で各種の理科実験機材・教具・模型等とともに製作され供給されるようになった。同じ年には銀座の小池卯八郎によって、本格的な西洋製造法に基づく鉛筆が鹿児島産の石墨(グラフ

「深川富岡門前町に、伊藤藤兵衛が彩料舗を開いて、ワットマン紙やニュートン絵具を売るようになったのは明治十年のことであり、……画学生には高嶺の花であったのが、明治十二年、村田宗清(安七)がフォンタネージが使った絵具をもとに研究して、国産絵具の…