吉井勇『わびずみの記』の装幀者が判明

「短歌研究」3月号(短歌研究社、2013年)が寄贈されてきた。はて、短歌にはうとい私になにごとだろうと、寄贈主・連載執筆者でもある細川光洋氏の手紙を読むと、2005年8月のブログに、「権限を持っている装丁の素人が、強権発動でもしなければこのような本が誕生することは考えられない」といってその大胆な装丁資材の選択を絶賛したを大好きな「添い寝本(最も愛しい装丁)」と評したことがあり、そのブログを読んで贈ってくれたようだ。

吉井勇『わびずみの記』(政経書院、昭和11年


 その後も、この壊れやすいがゆえに美しい本は講演や大学の授業などでも使わせてもらったお気に入り本だが、尊敬する造本評論家でもある斎藤昌三は「杉皮を以て装幀したが、これ亦下手の奇をのみねらって、加工上の研究なく見事に失敗した。由来下手装本は研究に研究を積んだ結果に俟たねばならないし、徒に模倣することは避けねばならない。」(『少雨荘随筆銀魚部隊』)と辛口の評価をした。


私は、これはもしかして自分を下手本の第一人者と思いこんでいた斎藤の、思いもよらない資材を使って美しい装幀をされてしまったことに対する嫉妬ではないか? と、今は亡き斎藤を皮肉ったりしたなつかしい話しを思いださせてくれた。


 そしてなによりも、8年経った今でもこの本の装幀者について、あるいはなぜ装丁資材には不向きの杉皮を選択し壊れやすい稚拙な造本で作られたのか、などについては追求すべき何の手がかりもつかめずにいた。が、今回贈られてきた細川光洋「吉井勇の旅鞄 連載25杉皮装『わびずみの記』」(「短歌研究」3月号、短歌研究社、2013年)で、みごとに装幀者・田村敬男が『わびずみの記』について書いた『或る生きざまの軌跡──人の綴りしわが自伝──』(私家本、昭和55.11)の〔編集註〕に、「吉井勇先生と、僕の関係」と書き残した文章を発掘し発表してくれた。長年のもやもやを払拭していただき、久しぶりに夜も眠れなくなるほどの興奮と感激を味わさせてもらった。


そんな杉皮を造本に用いるに至った経緯などがわかる装幀者・田村敬男氏の文章を転載させていただこう。
「僕は十三才の時、縁あって吉井勇先生の叔父仲助(明治維新の功臣吉井幸輔の六男)氏の書生として育ててもらった。その関係で先生とは古くから知っており出版者となって後先生の代表作歌集の一つ『人間経』を出版、つづいて先生が酒をやめると仰言った。あの酒ほがい華やかな吉井勇がである。この時先生の随筆集『わびずみの記』を出版することになり僕は勇先生の断酒記念出版だから一工夫あるべしという心意気──出版者としての──で、これに焼判でわびずみの記と僕が書いてこれをジューと押印し、背のつなぎには、酒袋に金文字を宋朝体で入れ、たとうは、酒の肴を表微する竹の皮模様の和紙を使って世に出した。書評家斎藤昌三は、これを評して“凝ってはまさに愚に帰る”と酷評されたが、読書家をアット言わせたことは事実である。」