堂昌一「あね・おとうと」(つづき)

 女性の服装もモンペが影をひそめ、和服が多くなり、洋服もロング・スカートや、いかり肩のフレアコートが流行してきました。
 街でからんできたチンピラを、まだ若く美しかった姉が威勢の良いたんかで、追っ払ったのも今では懐かしい思い出です。


 店によく来る、絵に描いたような闇の紳士。ソフトを目深に、口髭に黒メガネ、その彼がいつも連れ歩いている女性がいました。若い頃の倍賞美津子さんに似た魅力的な女性でした。
その岡惚れの君が姿を見せなくなって、四、五ヶ月後、例によって私は吉原をさまよい歩いておりました。出会ったのです。憧れの女性に。私は吉原に通いました。一緒に後楽園へ野球も見に行きました。妓楼ではないホテルでも昼間逢いました。


 三ヶ月程すると彼女は吉原から消えました。店で訊いても消息は分かりませんでした。
 それから一年近くが経過しました。私は相変わらず熱海の糸川べりをさまよっていました。そして会いました。小さな娼家の店先へ逃げ込む彼女の背中を、背中だけで彼女と分かりました。それから私の熱海通いが始まりました。そして二ヶ月程で、彼女はまた居なくなりました。


 娼家のママが言付けがあると言いました。「あの妓、お嫁に行ったの。仙台の材木屋の後妻に。私も幸せになるから、昌ちゃんも可愛いお嫁さん貰って幸せになってくださいって」。今想うと彼女の面差しは姉にとてもよく似ていました。


 人間七十余年生きていると、いくつも、沢山の異性との出会いと別れがありました。私の好きな女性のタイプは、ちょっと伝法で、ちょっと好色で、ちょっと薄情そうで、その実、情けの深い……。
 この頃の女性はみんな洗練されて美しくなりました。とくに年配の女性が綺麗になったことは顕著で、お互いにご同慶のいたりであります。