堂昌一「ふるさと」(「文芸随筆」日本文芸クラブ、2008年)

 私は東京の川向こう向島の生まれです。
 私が7才の時「アル中」の父を亡くしました。極端に親戚の少ない私と母は忽ち路頭に迷うところでしたが、姉の嫁ぎ先に引き取られて厄介になることになりました。



堂昌一:画、「ふるさと」(「文芸随筆」2008年)お姉さん? それとも職人のお内儀さん?


 姉の嫁ぎ先は浅草象潟(きさかた)、二階建て銅板張りの大きな建具屋でした。その横丁があり、別に長屋の生活を覗きたくありませんが、覗けてしまいます。「偽紫女源氏」精巧な復刻を見せてくれた老蒔絵師、イケメンの草履職人の処へ郭を抜けて逢いにくる吉原のおいらん、母子家庭の“すきやき”の仲居さん。
ある朝、騒々しい音で目を覚ましました。
 「手入だ!!」「逃げろ!!」屋根の上を「ぺたぺた」と逃惑う長屋の住人たち。明るくなって、数珠繋ぎの顔馴染みのおじさんやおばさん達、花札賭博にケイサツの手が入ったのです。


 お富士さんの植木市、縁日、三社祭りで田ん圃の料亭に繰り込む、こども神輿、大盥の氷とラムネ。
 昭和初期の職人のお内儀さんは、日本髪を結っていました。姉の二十才の大きな丸髷姿、赤い「てがら」が映えて、とても美しかった。浅草、赤坂、神楽坂、平成9年に亡くなるまで一緒に暮らしました。
 ちょっと我が儘だった姉を最後まで介護してくれた、わが女房に深く感謝します。ありがとう。私の「ふるさと」は浅草象潟であります。