今回は斉藤五百枝「挿絵漫語(1)」(「さしゑ」第2号、平凡社、昭和10年)から転載させて頂こう。斉藤五百枝(さいとう いおえ 1884〜1966)は、千葉県生まれ。白馬会研究所、東京美術学校洋画科に進み、岡田三郎助に師事。「少年倶楽部」創刊号から表紙絵を描く。少年小説、大佛次郎「狼隊の少年」「山嶽党奇談」、佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」、吉川英治「龍虎八天狗」や、時代小説、直木三十五「由比根元大殺記」、大佛次郎「夢の浮橋」等を描く。大正13年4月号から昭和9年12月号まで、12年間240号分の表紙を描き続

「12年間もの間、たった1回休んだだけで、240号分を一人でかきつづけた。月刊誌の表紙としては希有のことである。ただ長くつづいたというのではなく千変万化、ときには軍鶏だの鷲だの鯉のぼりだの軍艦旗だの、ただそれだけをかいただけで読者をこうふんさせた。」(加藤謙一少年倶楽部時代』(講談社、昭和43年)と、当時の編集長・加藤謙一からは高い評価を得ていた。



斉藤五百枝:画、「少年倶楽部」第20巻1月号(講談社昭和8年



斉藤五百枝:画、「少年倶楽部」第20巻10月号(講談社昭和8年