僕の場合何もあんな細い線でくどくどとかき込まなくともよいので肉太の線でクツクツ!!とやった方が感じがハッキリ強く出るのであるし、まるで西洋婦人そっくりの理想型モダンガールを描くよりも、銀座あたりに散見するモガそのまゝを描いたほうが、どれだけ真実性から來る親しめる魅力が漂ふか分からないのである。


田中比左良:画、「そろいひの丸髷でお詣りらしい大年増三人づれ」(「さしゑ」、平凡社昭和10年


これに就いてしみじみ思ふことであるが、近来カメラ技術が大へん発達して随(したが)って雜誌新聞の冩真版の発展も著しく、例へば街頭を歩行したりベンチに憩ったり、ものを貪ったり談笑したり極めて自然な女性の刹那のポーズを巧みにキャッチした印畫に夥(おびただ)しくぶつかるのであるが、僕はしみじみこいつを眺めているとリアルといふものの偉大さ面白さに打たれるので一寸した着物のゆらぎ手足のたゝずまひ硬軟表情の機微等一点一劃の變歪誇張(へんわいこちょう)抜き差しをも許さぬ実在現象の厳粛さに打たれるのである。とても我等の繪畫は敵はんと思ふのである。


人物のみならず風景等もさうで小生近来墨絵で古臭くない現實的な風景描冩の訓練をやってゐるが、カメラ雑誌の口絵から得る知惠が非常に多いのである。殊にこれは墨繪によい、日本畫の大家なぞこの印畫から示唆を受けてゐる向きもあるやうに聞く。