今の画壇の大家と申さるゝ人々の中にも、我々の年配で、又先輩で、矢張以前には挿繪を描いて居った人達が相當にあるが、それ等の人達が今は全く挿繪を振向いても見ぬ人が多い。その人達は、挿繪なぞは一向につまらぬものであって、その人達が一生懸命にやって居る處の床の間(床間にぶらさげる掛物の繪の事)や展覧會繪よりも一段も二段も下のもので俗悪無類の君子の筆にすべきものでないと信じ切って居る向きが多いのは事實である。(つづく)
今の画壇の大家と申さるゝ人々の中にも、我々の年配で、又先輩で、矢張以前には挿繪を描いて居った人達が相當にあるが、それ等の人達が今は全く挿繪を振向いても見ぬ人が多い。その人達は、挿繪なぞは一向につまらぬものであって、その人達が一生懸命にやって居る處の床の間(床間にぶらさげる掛物の繪の事)や展覧會繪よりも一段も二段も下のもので俗悪無類の君子の筆にすべきものでないと信じ切って居る向きが多いのは事實である。(つづく)