2011-05-06から1日間の記事一覧

私は挿畫を描き始めてから、前後約三十年になるであらふ、思へば随分と古ぼけたものだ(途中で他の職業をやった為め挿繪をやらぬ事がその間五年弱はあった樣だが)。その三十年の間には、何度この仕事を早く打ち切って、矢張り大勢の畫家がやる樣な、展覧會の繪を描く事に専念しなければならないと煩悶としたり焦慮したりした事が、その都度自分ながら不甲斐なさに涙したのであった。

今の画壇の大家と申さるゝ人々の中にも、我々の年配で、又先輩で、矢張以前には挿繪を描いて居った人達が相當にあるが、それ等の人達が今は全く挿繪を振向いても見ぬ人が多い。その人達は、挿繪なぞは一向につまらぬものであって、その人達が一生懸命にやっ…

今回は斉藤五百枝「挿絵漫語(1)」(「さしゑ」第2号、平凡社、昭和10年)から転載させて頂こう。斉藤五百枝(さいとう いおえ 1884〜1966)は、千葉県生まれ。白馬会研究所、東京美術学校洋画科に進み、岡田三郎助に師事。「少年倶楽部」創刊号から表紙絵を描く。少年小説、大佛次郎「狼隊の少年」「山嶽党奇談」、佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」、吉川英治「龍虎八天狗」や、時代小説、直木三十五「由比根元大殺記」、大佛次郎「夢の浮橋」等を描く。大正13年4月号から昭和9年12月号まで、12年間240号分の表紙を描き続

「12年間もの間、たった1回休んだだけで、240号分を一人でかきつづけた。月刊誌の表紙としては希有のことである。ただ長くつづいたというのではなく千変万化、ときには軍鶏だの鷲だの鯉のぼりだの軍艦旗だの、ただそれだけをかいただけで読者をこうふんさせ…