執筆者が驚く! 恩地孝四郎の関連資料を集めようと「日本の古本屋」で検索をかけてみると、なんと私が5年ほど前に書いた「恩地孝四郎の装丁1」(「紙魚の手帳」33号、2005年、定価500円)が2,000円で売られているのをみつけた。「紙魚の手帳」は多川精一さんが自費出版して、知人に配っていたもの。流通させたのは、私が原稿料の代わりに20冊程いただいたものを東京堂書店の佐野さんと書肆アクセスの畠中さんにお願いして置いてもらった程度。多川さんが86歳になり36号で終刊した。「紙魚の手帳」に毎号12ページほど執筆し



紙魚の手帳」33号、35号



恩地孝四郎の装丁1」(「紙魚の手帳」33号、2005年)



恩地孝四郎の装丁1」(「紙魚の手帳」33号、2005年)



恩地孝四郎の装丁2」(「紙魚の手帳」35号、2005年)


1昨年、「紙魚の手帳」全36巻セットを15,000円で販売したら、4セット売れた。どこかに1セットのこっているはずだが。10年後にこれをオークションにかけてみようかな、なんて思わせる嬉しい発見だった。


先週の実践女子学園生涯学習センターでの「前衛美術の受容と恩地孝四郎の装丁」は、この「紙魚の手帳」に書いた原稿がおおいに役にたった。そんなことが、かつて無償で書いていた事が財産となって残っている様な気がする。


私の視点が5年前と少し変わって、新たに見つけ出したのは、恩地の装丁にはつねに夢二への敬意が含まれていいるということで、恩地が亡くなる3年前に執筆した『本の美術』(誠文堂新光社、昭27年)の巻頭に、「この本を私の装本への機縁をつくった故竹久夢二にささげる」と記されているのが、恩地の夢二への生涯変わらない尊敬の念を証明しているのではないかということだ。



恩地孝四郎『本の美術』(誠文堂新光社、昭27年)


『春の巻」に出会った時に、画文集が複製芸術という万人に向けた芸術であることを教えてくれ、西川光二郎『悪人研究』、竹久夢二『どんたく』、竹久夢二『小夜曲』などの装丁で、夢二は恩地の手を取りながら実践的な教育を施してくれたのである。


恩地の晩年は、そんな複製芸術と前衛美術と創作版画を総合的に表現した万人に向けた芸術としての装丁を、改造社などから刊行された手摺り木版を使った装丁群で実現し、さらに写真や詩を追加して刊行された私家版の『海の童話』「飛行官能』『日本の花』『季節標』などで、一生追い求めた画文集という理想の書物の完成形を見るのである。