2010-04-17から1日間の記事一覧
「幼少のころから画ばかりかいてゐた僕だったが決して画かきになるつもりのなかった僕が忽ち、次年春、美術学校を受ける熱意にまで到達したといふのは即ち夢二氏のあるあつたからである。但し一度も夢二氏がそれをすすめたのではない。夢二はさういふおせつ…
後の「書窓」の発行人でもある志茂太郎は、「画集『春の巻』への、画学生恩地孝四郎青年ファンレターである。……あの手紙の始まりの『今日学校の帰りを』とある学校は当時の上野の美校なのであるが、手紙をキッカケに両者の親交が急速に深まって、何と、いつ…