2010-04-17から1日間の記事一覧

ではなぜ、孝四郎は唐突に美校に進もうとしたのか。後に自身の言葉で次のように言っている。

「幼少のころから画ばかりかいてゐた僕だったが決して画かきになるつもりのなかった僕が忽ち、次年春、美術学校を受ける熱意にまで到達したといふのは即ち夢二氏のあるあつたからである。但し一度も夢二氏がそれをすすめたのではない。夢二はさういふおせつ…

竹久夢二の『夢二画集 春の巻』(洛陽堂、1909〔明治42〕年12月)を購読した恩地孝四郎は、その感動を手紙にしたためて夢二宛てに届けた。その時の手紙の全文が、夢二の第2作目となる『夢二画集 夏の巻』(洛陽堂、明治43年4月)の巻末に掲載された。その手紙の書き出しの「私は今日学校の帰りを親しい友──やはりあなたの画がすきな──」とあり、この「学校の帰り」とはどこの学校に通っていたのかが気になって調べてみた。

後の「書窓」の発行人でもある志茂太郎は、「画集『春の巻』への、画学生恩地孝四郎青年ファンレターである。……あの手紙の始まりの『今日学校の帰りを』とある学校は当時の上野の美校なのであるが、手紙をキッカケに両者の親交が急速に深まって、何と、いつ…