このような絵を描く為に、モデルを使ってスケッチをしていたらしく、「昭和十七八年でしたかな。浜本浩という作家がずいぶん活躍していて、『サンデー毎日』に小説を書いたとき、打ち合わせ会を新富町辺りでやったんです。その時千代龍という芸者が来てね、天神髷という、今ではあまり見かけない髪形がとても似合った人で、その場で巻紙を買ってきてスケッチをしたことがありました。……そしたらその人が上富士前の家を訪ねてきましたよ。芸者は一人歩きはできない。置屋のおかあさんにあたる人が付いてきた。……とにかく夜の七時こごろにお座敷着を着てきました。桜の花がぱっと散っている模様で、帯はちょっと黄色い帯、金で縁取りした白い笹が描いてあった。……二時間くらいいたのかな。一枚スケッチしたから。あれも戦災でやけたんだ。」(「東京転々 中一弥の人と仕事」『谷中根津千駄木』91、2008年)と回顧している。
中一弥:画、子母澤寛『長篇恋まんじ赤木颪(おろし)』(梧桐書院、昭和23年)
中一弥:画、池波正太郎『ないしょないしょ』(新潮文庫、平成四年)
中一弥:画、池波正太郎『おせん』(新潮文庫、平成12年40刷)