中一弥の装丁本は、400〜500冊くらいはあるのではないかと推察する。その根拠は、戦時中にも鈴木彦次郎『黎明の旋風』、陣出達郎『夜明富士』などの装丁があるが、装丁を手がけるようになった終戦後から約70年間にわたって描き続けてきている。年間平均して5冊手がけたとしても350冊はある計算になるからだ。



中一弥:画、山手樹一郎『花魁やくざ』(東方社、昭和26年)


このような絵を描く為に、モデルを使ってスケッチをしていたらしく、「昭和十七八年でしたかな。浜本浩という作家がずいぶん活躍していて、『サンデー毎日』に小説を書いたとき、打ち合わせ会を新富町辺りでやったんです。その時千代龍という芸者が来てね、天神髷という、今ではあまり見かけない髪形がとても似合った人で、その場で巻紙を買ってきてスケッチをしたことがありました。……そしたらその人が上富士前の家を訪ねてきましたよ。芸者は一人歩きはできない。置屋のおかあさんにあたる人が付いてきた。……とにかく夜の七時こごろにお座敷着を着てきました。桜の花がぱっと散っている模様で、帯はちょっと黄色い帯、金で縁取りした白い笹が描いてあった。……二時間くらいいたのかな。一枚スケッチしたから。あれも戦災でやけたんだ。」(「東京転々 中一弥の人と仕事」『谷中根津千駄木』91、2008年)と回顧している。


中一弥:画、子母澤寛『長篇恋まんじ赤木颪(おろし)』(梧桐書院、昭和23年)



中一弥:画、池波正太郎『ないしょないしょ』(新潮文庫、平成四年)



中一弥:画、池波正太郎『おせん』(新潮文庫、平成12年40刷)



中一弥:画、村上元三加賀騒動』(光文社時代小説文庫、昭和61年)