高橋忠弥の手書き文字装丁と私の好きな[手書き文字装丁家6人集]

■高橋忠弥の装丁書誌リスト5

邱永漢『オトナの憂鬱』(光風社、1959[昭和34]年)
平野威馬雄『女の匂いのする兵隊』(東京書房、1959[昭和34]年)
・伊東圭一郎『人間啄木』(岩手日報社、1959[昭和34]年)
・富山武志『市會議員』(寺の下通信社、1959[昭和34]年)
渡辺喜恵子馬淵川』(光風社、1959[昭和34]年)
・J.カリニコフ『大いなる河』(角川書店、1959[昭和34]年)
池田弥三郎『民俗故事物語』(河出書房新社、1959[昭和34]年)
・澤野久雄『どこかに橋が』(雪華社、1959[昭和34]年)
◎古田芳生『三十六号室』(中央公論社、1959[昭和34]年)
今東光『こまつなんきん』(講談社、1960[昭和35]年)
今東光『東光おんな談義』(講談社、1960[昭和35]年)
佐々木正夫『白い雲』(現代社、1960[昭和35]年)
開高健『裸の王様・流亡記』(角川文庫、1960[昭和35]年)







高橋忠弥の装丁の魅力は、なんといっても独立美術協会会員の描く装画の美しさ、面白さであるが、もう一つの楽しみは、フリーハンドで書くタイトル文字だ。昭和30〜40年代の装丁はまだまだ手書きのタイトルが多いが、中でも佐野繁次郎花森安治棟方志功中川一政、芹沢硑介の4人に忠弥を加えた6人を私の好きな「書き文字装丁六人衆」と名づけて楽しんでいる。


装画と文字が一体となって織りなす手書き文字入り装画は装丁独自の絵画世界であり、コラージュを思わせる独自の世界を創出している。タイトルとしては読みにくいのではないか、と評価する人もいるだろうが、その読みにくさがかえって意味を伝えるだけの文字ではなく、絵画表現の一部としての文字になっているのではないかと思う。つまり装丁における手書き文字は表現のためのモチーフの一つとして、絵に用いられているモチーフとともに一枚の絵を完成させているのである。


最近では、このように画家が絵と手書きの文字の共演を演出した装丁はほとんど姿を消してしまい、一つの表現スタイルが消えてしまったのはなんとも寂しい思いがする。絵画やデザインの表現スタイル同様、技術革新とともに誕生し一つの時代を形成するともう過去のものとなってしまい、再びブームがよみがえることはないのだろうか。


出版文化の隆盛とともに活字では補えない大きな文字のタイトルが要求され、誕生したのだろうが、写植機の発明により大きな文字は手で書く必要がなくなった。しかし、手書き文字を使った装丁には、技術的に大きな文字を作ることができただけでは超えられない、絵と文字のハーモニーを演じる事ができる装画という新たな表現様式があったはずなのだが、技術の進歩とともに、この装丁における表現様式も古い時代のものとして一掃されてしまったかのようである。