戦後の高橋忠弥の創作活動は、昭和24年〈37歳)独立美術協会会員となり、40年〈53歳)に渡仏するまでの16年間が一つの区切り


装丁を始めて間もない頃に、昭和15年芥川賞候補作になった森荘巳池『店頭(みせさき)』と出会い、装丁を任せてもらうことができたのは、装丁家としての忠弥にとって大いにラッキーな出会いであったといえる。


しかし、その同じ著者・森荘巳池が昭和18年『蛾と笹舟』で第18回直木賞を受賞し、当然その装丁は忠弥が担当するはずだったに違いないと思われるが、戦時中ということもあり、あいにく『蛾と笹舟』は単行本として発行されることはなかった。落胆したのは森と忠弥だけではなく私も忠弥装丁の『蛾と笹舟』を見たかった。


『本の装い』展で展示された終戦後から渡仏までの期間の忠弥の装丁は59点ある。手元に全部あるわけではないが、年譜を記載しながら年代順に掲載します。戦後、装丁を始めた昭和21年は、忠弥34歳の時である。(書誌はデータは「本の装い」を参考にしているが、◎は「本の装い」に記載されたいない架蔵書、今回新たに加えられた本。)