ホトトギスの創刊

 
俳句雑誌「ほととぎす」は明治30年(1897)1月15日、海南新聞にいた正岡子規の友人柳原極堂の手により一部六銭、発行部数300部で刊行された。発刊の目的は正岡子規が提唱する俳句革新の援助で、明治31年には柳原極堂から高浜虚子へと受け継がれ、発行も東京へ移る。35年にはカタカナ表記の「ホトトギス」となり、表紙のデザインも新しくモダンなものに変わる。東京に移ってからは和歌や新体詩が入り、幅広い文芸誌となる。38年からは夏目漱石の小説「吾輩は猫である」を掲載、人気となり文芸誌としての道を歩む。「坊っちゃん」も「ホトトギス」が初出。