2006-01-10から1日間の記事一覧

明星と白馬会のコラボレーション

黒田清輝率いる白馬会と、与謝野晶子、鉄幹の主宰する「明星」、つまり美術と文学が手を取りあって、新たな美術運動を起こそうとした事を立証する、象徴的な作品といえる。その後、美術と文芸が手を携えて本を作るという、同様のコンセプトで「白樺』や『ホ…

ホトトギスの創刊

俳句雑誌「ほととぎす」は明治30年(1897)1月15日、海南新聞にいた正岡子規の友人柳原極堂の手により一部六銭、発行部数300部で刊行された。発刊の目的は正岡子規が提唱する俳句革新の援助で、明治31年には柳原極堂から高浜虚子へと受け継がれ、発行も東京へ…

白樺の創刊

『白樺』は、明治43年(1910年)に、学習院出身の青年たち10数名によって創刊された、文芸・芸術雑誌。白樺派の主な作家には武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、倉田百三、里見?、柳宗悦らがいる。武者小路は思想的な中心人物であったと考えられている。多く…

黒田清輝がそそのかしての誕生か?

芳賀徹はカルタ製作のきっかけについて『みだれ髪の系譜』に「黒田が二人の書生にそそのかしたのであったかもしれない。それがまた多分黒田の口きき、晶子自身の雑誌に紹介されることとなったのでもあろうか。」と推察している。写真の右の2枚が中澤の作であ…

初めて目にする杉浦非水、中澤弘光「みだれ髪かるた」

『みだれ髪かるた』は明治37年正月号の『明星』別刷り四六倍版の1ページに、原寸大と思われるタテ8.3×ヨコ6.0cmの四枚が複製掲載された。写真は芳賀徹『みだれ髪の系譜』(美術公論社、昭和56年)より転載した中澤弘光、杉浦非水「みだれ髪かるた」(『明星…

『みだれ髪』の装丁の影響もみられる

「杉浦非水略年譜」(『杉浦非水写生帖』光村推古院、昭和53年)によれば実際に制作されたのは明治34年だったようだ。中澤弘光、杉浦朝武(つとむ)の二人の合作になる多色刷り石版画。アールヌーボー様式を取り入れた藤島武二の装丁で、与謝野晶子『みだれ…