2011-02-13から1日間の記事一覧

挿絵師のその後、板下絵師に代わって、日本画家系の挿絵画家が台頭してくる明治20年代について、匠の論説にさらに耳を傾けて見よう。

「しかし、浮世絵師に端を発し、社会的に位置の低かったそれら職人がまかなった明治初年の読本挿絵の伝流も、明治二十年代に入って、活版雑誌類が広まるにつれ、その弟子達から、かつての低俗板下絵師の扱いを離れるようになっていった。 明治二十二年創刊の…

純文学作家の新聞小説には挿絵がない

当時の代表的な文人饗庭篁村は幕末期の読本作者と異なるプライドを示すためか、その小説に挿絵を伴うのをきらい、『余や不肖といへども事に操觚に従ひ、自ら計らざる嗤ありといへども聊文学者を以って自任す。されど文字を連ねて感動せしむる能わずといえど…

洋画家による画文一体の挿絵の萌芽と壁

「明治十八年初刊の逍遥の『当世書生気質』には、はじめ洋画家長原孝太郎(止水)が挿絵をし、画文一体の文明開化方式を期したのであるが、のちに挿絵の名家の定評を得た孝太郎の挿絵は当時不評判で、わずか二枚で中止させられている。 逍遥の回想によると晩…

明治期の挿絵が文学と接近していく様子を匠秀夫「小説と挿絵」(『日本の近代美術と文学』(沖積社、昭和62年)に見てみよう。

「明治期における雑誌・書籍を概観すると、まず読本の挿絵では、江戸末期の黄表紙、赤本、黒本など、総じて絵双紙といわれたように、かなりの来歴を持っている。さらに、山東京伝の案出になるといわれるが、絵双紙の中から、『巻中の主要人物等々の巻頭に掲…