村山知義『構成派研究』(中央美術社、大正15年)にも

 
「機械化」(『構成派研究』)という章に「機械的要素の芸術への導入の次には芸術の機械化がくるのは当然である。芸術品の個々の手工芸的制作は、中世紀的であり、ブルジョア的であり、不必要な贅沢であり、大衆の協同と平等の社会には全くふさわしくないものであるとされる。この説は産業主義の大量生産説と合致する。……面積の次には数における大量生産が来る。すると芸術の機械化が避くべからざることとなってくる。この要求の結果として最近、印刷、写真、フィルムの三つが最も新しい芸術家たちの注目を惹き出している。」と、大正15年に、複製芸術論を唱えている。
 
その中で、更にタイポグラフィーについても「すべての印刷的作品には一義的な明瞭さがなければならない。読みやすくなければならない──決してアプリオリ(*先験的)に承認された美学なんどにわずらわされてはならない。文字の形は予め定められた形、たとえば四角といったような形の中に押し込まれてはならない。」と言及している。
 
文字組みについても「印刷の本質と目的とは、行のあらゆる方面や(すなわちただ水平な組み方ばかりでなくなる)すべてのタイプや、文字の順序や、幾何学的な形や、色などの無拘束な使用を規定するにある。」と、言い放っている。正に構成主義的デザインの本質をここに述べている。まだ、どことなく自信なさげだが、『骸骨の舞跳』の文字の配列は、この芸術論を背景にしたデザインであろう。