清刷りを使った佐野繁次郎の装丁

●清刷りを使った佐野繁次郎の装丁
佐野の装丁に活字が使われているもう一つの例として、清刷りを版下として使った装丁がある。
清刷りとは、白い紙に活版印刷で印刷したもので、文字を貼り直したり、拡大したりしてその文字(版下)を使ってデザインし、再度印刷する。


高見順『昭和文學盛衰誌(一)』(文芸春秋新社、昭和33年3月初版)、松浦佐美太郎『たった一人の山』(文芸春秋新社、昭和38年)は、清刷りを版下として使った装丁例である。こうして書き文字を使わなくともタイトルのような大きな文字を使えるようになった。あるいは、小さな文字を大量に活字のようなきれいな書き文字で書くのは大変なので、この清刷りを使う方法は大いに使われるようになった。



写植が使われるようになり、大きな文字も自由に使えるようになってからも、活字の書体にこだわるデザイナーは、この方法を使っていた。『たった一人の山』の見返しにも清刷りを使ったタイポグラフィカルなみごとなデザインが施されている。このデザインについては一度拙書『装丁探索』(平凡社、2003年)にも書いた。



佐野もこの表現方法が気に入っていたらしく、昭和30年代から40年代には、野間宏さいころの空』(文藝春秋新社、昭和35年11版)など多用していた。船橋聖一『とりかへばや秘文』(新潮社、昭和41年)では得意の布をコラージュしたものと活字の清刷りを組み合わせた装丁なども創作している。


活字だけを使った装丁に危機感を感じたのだろうか? 表現方法が個人の手わざを離れより機械生産に近い方法を取り入れることは、個性が失われるだけではなく、類似の装丁を作りやすいということでもあり、それは、まねされやすいということでもある。


白地に清刷を拡大した文字をあしらうデザインの丹羽文雄『小説作法』(文芸春秋新社、昭和34年三版、初版は33年9月)には、装丁家の名前が記されていない。佐野以外の誰かが装丁したものなのかどうかは判断できないが、『とりかへばや秘文』のようにコラージュを組み合わせるようになったのは、もしかして、佐野以外のだれかが『小説作法』を装丁したのを嫌ったからではないかと邪推させる。