2012-01-01から1年間の記事一覧

昨日は100歳で現役挿絵画家・中一弥さんのご子息でもあり、『カディスの赤い星』で直木賞を受賞した作家の逢坂剛さんのインタビューに行ってきた。同行した星恵美子さんや濱野彰親さんが思わず涙がでそうになったという親子競演などの良い話を聞かせていただくことができた。一つの質問に対して5〜10分くらい丁寧に答えていただきインタビューアーとしてはとても助かりました。画像は、親子コラボレーションの装画:中一弥、逢坂剛『重蔵始末(四)嫁盗み』。

「作家・逢坂剛がみた挿絵」(「粋美挿画」3号)掲載頁の一部。

画像左「週刊朝日」大正14年に古家あらた(ふるや あらた)のサインを見つけたが、かつて画像右「蝋人形」(昭和9年)に古家新(ふるや しん)のサインがあったのを思いだし並べてみた。画風からはとても同一人物とは思えないのだが、どちらの経歴も「古家新(1897〜1977)兵庫県明石に生まれる。1920年 京都高等工芸学校卒。1921年 朝日新聞社学芸部に勤務、『週刊朝日』の表紙画や挿絵等の制作を行う。……」とあった。やはり同一人物だったか。

久しぶりに事務所に行った。郵送されてきた仕事が届いていて、危うく仕事を一つ逃すところだった。資料をかたずけていたら大正から昭和初期にかけての大判のグラフ誌をたくさんストックしたファイルが出て来た。その中から1冊、何とも妖艶ではないが不気味でもない不思議な高橋成薇(生年不詳–1994):画「週刊朝日」(大正14年3月号)を紹介しよう。成薇は昭和5年、中村貞似と結婚、その後は制作をしていないようだ。画面右下のサインが背景に溶け込んでおり、取り出すのが大変だった。

書斎というか納戸というべきか、の模様替えをしようと奮闘していたら40年前に購入したカメラがホコリだらけのケースと共に出て来た。あまり使うことが無かったので存在すら忘れていたが、水彩画のモチーフになりそうと思い引っ張り出してきた。う〜ん、見ているだけでもしびれるが、フィルムを巻き上げる「ジ〜ジ〜」やシャッターの「シャッ」という音はたまらないね。

『アニマ別冊 動物の世界』(平凡社、昭和60年)も200円で購入。国内外の動物画家と作品が紹介されているが、絵も大きく内容が濃い優れた編集の冊子だ。豪徳寺での打ち合わせの帰り道に立ち寄った古書店だが、一緒に行った濱野彰親さんや星恵美子さんも大量に購入した。

「水甕」大正3年11月号の表紙絵を昭和38年に再流用して復刻刊行したもので、私が収集している関東大震災〜第二次世界大戦終戦を見事に飛び越えて掲載している。ルール違反はわかっているが収録せずにはいられない何ともおっとりとしているようだが気が利いているお気に入りのサインだ。矩形を丸刀3回で切り取った顔のようにも見えるこのサイン、わっかるかなぁ誰のサインか? メゾチント(マニエール・ノワール)と呼ばれる古い銅版画の技法を復活させ、独自のスタイルとして確立させたことで知られる版画家・長谷川潔(1891〈明治24〉

『ブックデザインコレクション』(ピエブックス、1998年)に掲載されていた時から14年間もの間一度手に取って見てみたいと思っていた『HOMO LUDENS BANDIII』(erschienen im Herbest 1989)を200円均一セールの中に見つけた。この本は2,000円でも購入したと思う。本の内容は勿論、レイアウト、装丁、どれをとっても素晴らしい「胸キュン本」だ。

春日章『妖艶画集』(グリーンドア文庫、1993年)が届いた。春日章はあの木枯し紋次郎の挿絵を描いた堂昌一のもう一つの雅号だ。発売当初は500円だったが、今では180頁ほどの文庫本が1万円もする。内容は表紙のおしとやかさとは裏腹にネットにアップするのは妖艶すぎてちょっとはばかられる。「粋美挿画」3号に「挿絵画家・堂昌一伝」を書くのでしぶしぶ購入したので、決して趣味で購入したのではないから!!念のため。

伊藤晴雨関連の本が3冊届いた。その中の一冊『伊藤晴雨写真帖責め絵の女』(新潮社、1996年)がすごい。ヘアヌード何てモンじゃない、心臓の悪い方にはお薦め致しません。私も心臓の神経の一部が断絶しているらしく、仕事でなければ見たくはなかったなぁ。

「本の手帳」11号に掲載する「挿絵画家たちのサイン解読事典」ア行・カ行180名12頁分のレイアウトがやっと終ったが、10日ほど経つと新たな挿絵画家がア行だけでも15名も出て来た。画像の内田巖『ドレフェス事件』(天寿閣、昭和21年)のように大物も含まれており、レイアウトをやり直すべきかどうかおおいに悩んでいる。

伊藤晴雨(1882-1961年)といえば知る人ぞしる責めの絵師。12歳で晴雨の愛人になったお葉は、後に竹久夢二の愛人・『黒船屋』のモデルでもある。晴雨と漢字は違うが同姓同名の挿絵画家・伊藤静雨を「風俗画報」にみつけた。同一人物かどうかは未確認。画像左が晴雨、右が静雨。

ちょっと高価だがモダンな装丁が気になって購入してしまった『池谷信三郎全集』。サインはあるが見たこともない解読困難なサインなので装丁家がわからず、挿絵サイン(落款)の第一人者・五十殿先生にも問い合わせたが分からなかった。このことが切っ掛けで私の挿絵画家のサイン収集が始まった。池谷作品の挿絵や装丁はほとんどがドイツ留学で一緒だった村山知義が担当していたが、なぜかこの本の装丁は村山ではない。もしかして、このサインを「Ikk」だとすると池谷の細君・池谷恵美子のデザインか?

池田永治(1889年-1950年)の略歴を調べたら、「本名は永一路。筆名は別に永一治,牛歩,田牛(たのもう)。」(kotobank )とあった。つまりサインは「たのもう」のようだ。それならそれで、活字では「池田田牛」と記して欲しいよね。「牛」を「モウ」と読ませるところはさすがだね。それにしてもなぜ「牛」なのか? もしかして干支? 調べてみると1889年は丑年でした。画像右は「牛」の草書体。

池田永治は普段は画像左のサインを使っていることが多いが、時々画像右のようなサインを使う。この右のサインがくせ者で、様々な考えを巡らせて解読しようといるのだが、何が書いてあるのか今だに分からない。画像右の中央の文字は「永」の草書体にも見える。あるいは冗談っぽく英字の「y」だから「エイジ」。などなど、だがいまいちぴったり来ない。

先月吉祥寺で購入した模型のヨットを8月号の表紙用に水彩画で描いた。2008年に表紙デザインの依頼を受けたときに、自分で絵も描いてしまおうとして、はじめてイラストに挑戦。水彩画教室に通い、たくさんの技法書を読みながらの危なっかしい出発でしたが既に5年も続いている。6月8日から水戸市で母が米寿の個展を開催するので、私も6点ほど水彩画を応援出品することにした。

「三四郎」「十兵衛」などと漢数字を使った名前はよくあるが、算用(アラビア)数字を使った名前はサインといえども珍しい。画像左は1947年に赤本漫画『新宝島』を手塚治虫と共作したことで知られる酒井七馬(1905-1969年)の「まんがマン」(昭和21年)に掲載された挿絵。画像右は「サロン」(昭和23年)に掲載された江茂十四郎の挿絵。算用数字のサインは描いた年月等の記載などと勘違いしそうだ。

アルファベット1字だけのサイン解読は難しいが、漢字1字だけのサイン解読も結構困難だ。「絵ばなし世間學」(「キング」付録、昭和10年)の目次には48名の挿絵画家の名前が羅列されている。画像の挿絵に記された「光」のサインに該当する画家は「狩野光雅」「田代光」「中沢弘光」「吉田秋光」と4人もいる。消去法でいくと「田代光」が該当する。

このサインは「kawzm」と解読したが、あとの「zm」はなんなんだ? という疑問が残る。画家名が川瀬成一郎であることがわかるが謎は更に深まる。さまざまな組み合わせを考えあきらめかけたころに、夢の中で「あっ、これは和洋折衷サインなのか」と気がついた。「zm」ではなく「ゑ」つまりよくサインの最後についている「画」を平仮名で書いたものにちがいない、と。ふ〜ッ、これでやっと快眠を得られそうだ。

「五」のサインといえば、多くの人が夏目漱石『葉虚集』(画像左)などの装丁で知られる橋口五葉(1880-1921年)を思い浮かべることと思う。画像右の佐藤紅緑『一直線』(昭和6年)の表紙にも「五」のサインがあり、てっきり五葉の装丁だと思った。しかし、目次裏に「装幀・口絵・挿絵 斎藤五百枝」とあり斉藤五百枝(1881-1966年)の装幀であることが分かった。五百枝50歳の時の装幀なので、この頃の五百枝は「少年倶楽部」の表紙などで活躍しており五葉の真似をしたとは思えないのだが……似すぎている。

この2つのサインはどうみても「K」にみえる。名前を確認すると画像左が「山下大五郎」、右が「帷子(かたびら)すゝむ」とある。つまり左は漢字の「大」で右はカタカナの「ス」のようだ。サインは漢字なのかカタカナなのかアルファベットなのかの確認さえも困難なことが多い。

挿絵画家・濱野彰親さんは若い頃は濱野政雄と名乗っていたが占師の提言を受け雅号を変更したら急に売れっ子になったそうだ。その影響かどうか、同僚の挿絵画家たちが一斉に雅号を変更したそうだ。同様に浅野薫(画像左)と浅野碌耳(右)も、同一人物なのではないだろうか? 浅野薫のサインがなぜ「耳」なのか不明だったが、同一人物だとするとそれも解決する。

「挿絵家たちの落款解読」(年刊誌「本の手帳」11号、2012.6発売予定)は1頁×15名掲載なので、10頁で150名しか掲載できない。600名掲載するには4回連載することになり、4年後のオリンピックの年に掲載完了となる計算だ。そのうちにどこかの出版社が単行本にしてくれるのではないかな?? なんて暢気な企画なのです。猫ひろしさんは、4年後にまたオリンピックに挑戦するのかな?

著作権の侵害の話をするつもりはないが、画像左は杉浦非水:「三越呉服店ポスター」(大正4年)。右は「国際画報」(大正12年)、作者は「文」と読めるサイン(サイン右)以外は不明。このサインは今のところ誰のものか分かっていない。サイン「文」の左右に斜めにちょんちょんと線があるのも非水がよく使う「非」のサインと似せたのだろうか。今なら直ぐに裁判沙汰になりそうだが、おおらかで穏やかな時代を感じさせてくれてある意味うらやましい。真似されたことを非水が知っていても高笑いしている……というような話はないのかな?

百貨サービス機関誌「生活者」(昭和9年11月号)総頁数40頁の小冊子には鯛五郎「紳士心得帳」「現代女大学」という2本のファッション関連の記事が掲載されている。広告ページが多く、わずかな記事を一人で2本も書いているのは少人数で制作したものと推測され、これ等の記事に付されたカットも含めて、表紙絵を描いた画家「G.T」は、絵も文章も達者なファッション関連の仕事をしているこの鯛五郎だとおもわれる。あの「しとしとピッチャン〜♪…」の子供はタイゴロウ……じゃないか?

ベランダで10年ほど育て2m程に伸びた山椒の鉢植えが、昨年たくさんの芋虫に食い尽くされて枯れてしまった。ここ数日、その枯木の周りにキアゲハが毎日飛んでくるので、またも懲りずに山椒の木を購入してきた。これでまたアゲハチョウが孵化するのを見ることができるかな。

「映画時代」(大正15年)の表紙画の画家は「CHIAKI」。ちあきで思いつくのは富田千秋だが、私が知っている富田は画像右のような時代小説の挿絵画家のイメージが強いので、まさかあの富田じゃないだろうとイメージのギャップのあまりの大きさゆえに特定できずにいた。が、よく見ると時代小説でありながらアルファベットのサイン(右下)を記しているではないか。間違いない!

昭和3年には平仮名のサイン(右上)だった硲伊之助(はざま いのすけ、1895-1977年)だが、戦争が終ると「日本小説」(昭和23年)の挿絵に記されたように、洋画家たちが待ち望んでいたアルファベットのサインに変えている。

二人の「Tom」? と思いきや、よく見ると「Tam」。画像左は村山知義(1901-1977年):画「何が彼女をそうさせたのか?」(昭和2年)、右は田村孝之介(1903-1986年):画「再建」(昭和21年)。いつもの田村は「Kou」「K.Tamura」などのサインが多く絵も写実的なのだが、画風もサインも村山風に見せた田村の遊び心か? そうだとしたら楽しい!!!

画像は野長瀬 晩花(のながせ ばんか、1889-1964年):画、パアル・バック「大地」(第一書房、昭和13年)表紙装画ということは分かっているのだが、「野長瀬 晩花」がどうしてこのようなサインになるのかが理解できない。だが、しつこく野長瀬 晩花のサイン分析に挑む。草書体の「晩}(画像右)をみると「日」篇+「火」旁の様な文字で構成されているのが分かる。この篇と旁を上下にならべると画像中央のようなサインになるのではないか? ド〜ヤ顔!!

「♪解けない謎をさらりとといて〜♪」と七色仮面のようにはいかない場合が多い。今回も「科学知識」(昭和5年)の表紙絵は目次に「表紙 金子徳郎」とあるが、目次のサインは「BonTon」または「BorTor」とある。名前を略して「金徳」を「KinTok」とするなら……ダメか。