2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧
最近入手した三田村鳶魚『自由戀愛の復活』(崇文堂、大正13年5月)に、装丁家の名前は見当たらない。しかし、齊藤昌三「小雨荘裝釘記」(「書物展望」書物展望社、昭和9年12月号)には、次のように記されている。 齊藤昌三の最初の装丁本? 三田村鳶魚『自…
・場所=〒191-0061東京都日野市大坂上1-33-1(JR中央線・日野駅前) ・受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00) ・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は…
造本:峯村幸造、齊藤昌三『紙魚地獄』(書痴往来社、昭和34年9月)。隅々まで神経の行き届いた繊細な装丁だと思ったら、なんと、昌三ではなく、峯村が装丁を担当していた。納得。 巻末にある峯村幸造の跋文では 「私にとってはこの本は処女刊行でもあり翁の…
『書斎随歩』(書物展望社、昭和19年3月)
『紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月) 装丁については前回掲載
表表紙のほうは解読不能。 住所から判断して、天野敬太郎(1901-1992)、書誌学者、索引家。大正年間京大図書館に入って以来、一生涯を文献データ(書誌)の採取とその編纂・刊行に費やし、1945~2003年に刊行された書誌24772点を網羅的に収録した書誌の書誌『…
序文に 「茲に四度目の随筆集『紙魚供養』を上梓することになった。……扨、本書の外装は、この數年間に亘り、小生並びに小社宛の郵便の封筒を活用したもので、主として文筆家や藝術家方面のものを選んで張合せたので、從つて同一なものは一冊も出来ない譯けで…
装丁については前回掲載 『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月)
『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月) 「後記」には、「装幀は純日本趣味を出して見たく、今度は漆塗りを試みてみた。それも單なる漆塗りでなく研出布目塗りにして、萬全を期したつもりであるが、果たして出来上がりは、如何か。背文字も元来は漆でか…
『閑板書国巡礼記』のあとがき「巡礼を終えて」には「装幀に試みた蚊帳は、この夏腹案したもので、この寒さに向かって蚊帳でもあるまいと冷笑されやうが、ヒト様にはこんな失禮な装幀を応用するのは申譯ないから、自分の物に仕様するより他はないと決行した…
❶『書痴の散歩』 『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年11月) この本は昌三の最初の随筆集であり、書物展望社のゲテ本としては、『恭古随筆』『魯庵随筆紙魚繁昌記』『魯庵随筆読書放浪』に続く、第4番目の廃物利用の装丁になる。思い入れがあるようで、この…
とある。 1部だけでもゲテ本と呼ぶのか、一体いつごろからこの言葉が使われ、いつごろからゲテ本があったのか、などなど説明不足で疑問の残る解説だが、要は「奇をてらった装丁」と言うような意味なのだろう。 ゲテ本の本家本元の齊藤昌三自身は 「常道に外…
亀山巌:装幀、齋藤昌三『36人の好色家』(有光書房、昭和48年) 「昌三が、珍装幀家といわれる最初の本は、山中笑翁(えむ)の『共古随筆』であろう。山中笑翁は甲府の教会の牧師も勤め、後に出版された『甲府の落葉』なる稿本もあったことより、山梨より蚕…
齋藤昌三『小雨荘随筆 紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月20日) 「活版術の普及と共に洋風装幀の渡来してから既に六十年にもなるが、他の文化事業の発展に比較して、造本術は果たして向上してゐるのだろうか。實は大震災後の文獻振興熱に煽られて、圓本亂…
第55回江戸川乱歩賞受章者・遠藤武文氏の挨拶。 遠藤武文『プリズン・トリック』(講談社、2009年9月3日)、装丁:岡孝治 会場には、京極夏彦氏、西村京太郎氏、天童荒太氏、恩田陸氏、石田衣良氏など、いまを時めく人気作家たちがたくさんいて、なんとも華…