挿絵家・百穂の誕生


34年、25歳の春に再び上京して、向島弘福寺境内にある結城素明の家に寄寓する。田口掬汀の斡旋を受け新聲社から発行する文藝雑誌「新聲」の表紙絵、挿絵を描くようになる。挿絵家・百穂の誕生である。
「この年七月発行の同誌に彼は初めて『田澤の夕照』『夏の利根川』『潮来十二橋』などのスケッチを発表し、爾来毎號同誌のために挿繪を描いた。当時挿繪画家として評判の良かったのは洋畫の方では藤島武二小杉未醒、一条成美があり、日本画家としては竹内桂舟、久保田米遷、水野年方、梶田半古等であったが、百穂は新進作家として勇ましく挿畫界に乗り出して行った。」と、百穂のデビューは文藝雑誌「新聲」だった。


写真は上から平福百穂、一条成美、武内桂舟、水野年方、梶田半古