さらに百穂に関する資料を3冊購入

・小高根太郎『平福百穂』(東京堂、昭和23年)
・「雙杉 平福百穂追悼号」(芸艸堂、昭和8年
・「アララギ 平福百穂追悼号」(アララギ発行所、昭和9年

本棚から1冊見つけ出す
・『平福百穂 婦人之友表紙画集』(婦人之友社、昭和50年)


これはかなり豪華なもので、20点の原色版表紙画を太子判の手漉き厚手和紙に台紙貼りしたシート状のもので、藍染め紬布貼り帙函入り。16頁の冊子付き。500円は安いとおもって大分前に購入しておいたもの。


百穂が画家になるきっかけが、小高根太郎『平福百穂』に次のように書かれていた。
明治23年に、父保安が脳溢血で亡くなり、平福家の恩人で、瀬川安五郎の「貞藏(百穂)の顔を見て見どころのある子となし、折角畫を描く者の後でもあるし繪に関する色々なものも澤山あることだから、誰か兄弟の一人は畫家にしたらよかろうと言って、貞藏に繪を習わせることを勧めてくれた。また盛岡に帰ってから、長兄恒藏に手紙を送って了解を求めてくれ、同時に澤山の唐紙と筆墨を贈ってくれた。瀬川の一言によって貞藏の運命は決せられた。畫人百穂は、かうして生まれることになつたのである。」という勧めがあって、画家への道を目指すことになり、上京した。