恩地孝四郎から竹久夢二へ宛てた初めての手紙とは、「…私はこの画集の中で一番心細くおもったのは眼──眼です。眼に情韻が乏しくなったことです、私にはそう思へるのです。髑髏(どくろ)の花押(かおう=サイン)の時代に引きかえすことは勿論望むのが愚ですけれど、あの時分よりは、筆の熱情が減じはしないかと思はれるのです。筆が達者になって、奔放になりはしないかと気になります。……『四十男』『不如帰の読者』『どろ猫』などは軽薄つていふんでせうか私には望ましくないのです。」(「夢二画集夏の巻)
と、7才年長のプロで後に師と仰ぐ夢二へ、予備校に通う学生が送った手紙にしては遠慮がなく鋭い。そして、初信にしてはかなり手厳しい批判をしている。



どくろの花押の夢二画「新家庭」(平民新聞明治40年



どくろの花押の夢二画「求婚広告」(平民新聞明治40年



批判された春の巻に掲載された絵=「四十男は悪漢なり」「不如帰の読者」(「春の巻」)



批判された春の巻に掲載された絵=不如帰の読者



批判された春の巻に掲載された絵=光れるレール