石井鶴三の最初の新聞小説挿絵をやっと見ることが出来た。「大正七年 1918年、石井鶴三この年32歳 四月ー7月、田村松魚原作『歩んできた道』(やまと新聞)に柏亭と交代で挿絵を執筆。この時の挿画は毎日ではなく、数日おきに挿入された。」(石井鶴三全集 第1巻)





「田村松魚作『歩んできた道挿絵』
村松魚作『歩んできた道』は、やまと新聞(〝警察新報〟(創刊明治17年10月)の後身として明治19年10月7日創刊)の朝刊第一面に、大正7年4月12日から同年7月5日まで、85回連載。挿絵29点掲載のうち石井鶴三が23点を担当。4月10日の〝新小説予告〟に、「──天才者と目されたる田村松魚氏が10年の蘊蓄を傾けたる新作品也─中略─このうえ〝洋画家の逸材石井柏亭氏〟および近来の洋画界の〝奇才…石井鶴三氏〟の兄弟は、作者の親交上十二分の努力を挿画に於て尽くさん事を約されたり。──」と。
 また、本紙は明治32年以来〝年中無休刊〟の表示も、朝刊4頁夕刊4頁の8頁建て、大正7年7月1日より紙面を1頁10段から11段(1行16字詰を15字詰)に改良、購読料は月45銭。なお、7月7日から泉鏡花作〝芍薬の歌〟が新連載。」(石井鶴三全集 第1巻)


とあり、新聞小説挿絵といえども鶴三が描いたのはわずかに23点だけだったようだ。