「其後、婦人公論誌上に連載の上司小剣氏作「森の中の家」という小説に挿画を描いたのが縁となり、同氏の新聞小説の処女作「花道」の挿絵をたのまれた。時事新聞紙上で大正九年のことであった。……私は興味を以てこの小説に挿絵を描いた。主人公の蝶子という少女に愛情を感じ、其愛情をこめて画を描いて居た。場面が変わるたび、渋谷・芝公園・五反田・千葉という風にそれぞれ其土地を歩いて見た。いちいち写生をするわけではないが、挿絵を描く時には、其背景になっている土地の空気を知って置く要があると思ったからである。」(「文学」1954


この時の絵が鶴三を大きく飛躍させるきっかけとなる。鶴三の挿絵に向かう姿勢がこの時すでに完成していたようで、その後も挿絵を描く時は、小説の背景となる土地を訪れて描くことが多い。



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年



石井鶴三:画、上司小剣「花道」(時事新聞、大正9年