2010-01-13から1日間の記事一覧

『報知新聞』の此の前後三年に渉つた「山」から一束の繪かきを摑まへて來て踊らせる試みは、自然と、その後、各新聞各雑誌が擧つて「山」から繪かきを引張つて來る傾向に対する前提となり、繪かきにとつては又、彼が「山」から「挿繪界」へ行く道順に不思議のないと云ふことを示す、これが瀬踏みとなつたのである。思へば廣瀬君は、近代ジャーナリズムの上から云つても、面白い適時打を放つたものであつた。そして、あの「石井鶴三」一人ではいけない。曰く「川端龍子」「山本鼎」「河野通勢」「木村某」……とずらりと摑まへて來なければ、チャンス

が、又、更にあの場合、正直に云つて、我々報知の『富士に立つ影』連中の出來榮えだけでは、未だいけなかつた──その折りも折り、日日新聞側から、時運に對して、ドエライ掩護砲を放つたもののあつたのが、有名な巨弾『大菩薩峠』の挿繪である。 小説『大菩薩…

画家であり挿絵家でもある木村荘八は、また優れた文筆家であり、『東京の風俗』、『現代風俗帖』など多数の著作も出し、歿後刊行の『東京繁昌記』で、1959年に日本芸術院恩賜賞を受賞している。そんな木村荘八による挿絵論集『近代挿繪考』(双雅房、昭和18年10月)に書かれた「文展開設以来大正大震災に至る迄」以降の石井鶴三と中川一政さらに木村荘八自身の活躍ぶりを眺めてみよう。

木村荘八『近代挿繪考』(双雅房、昭和18年10月)。戦時中の酸性紙を使っていたのだろうか、パラフィン紙に包まれていたジャケット(カバー)は、包みをほどいただけでぱりぱりと割れるように崩れてしまう。 その前に「文展開設以来大正大震災に至る迄」につ…