最近は、ネットで購入してしまうため、めったに古書市に足を運ぶことがなくなってしまった。でも行ったら行ったで、結構たくさん購入してしまう。リュックが一杯で、持ち上げるのが大変なくらい購入してしまい、高円寺から西武新宿線の都立家政まで歩いたときの恰好は、まるで千葉から野菜や魚を売りに大きな荷物を背負ってきたおばさんのようだったに違いない。


ネットでは中々購入できない本もある。『もう一つの明治美術 明治美術会から太平洋画会』(もう一つの明治美術展実行委員会、2003年)もそんな一冊だ。静岡県立美術館、府中市美術館、長野県信濃美術館、岡山県立美術館が協力して制作した美術展の図録だが、以前、このブログでも書いていた水彩画の話や画像がたくさん詰まっていて、私が書いていたようなことが、たっぷりと詰め込んであり見ごたえのある図録になっている。作家・作品解説や年表も充実しているのが、いい。水彩画の話は途中で途切れてしまいましたが、その内に大下藤次郎、丸山晩霞、三宅克己や中西利雄等も含めて、続きを書いて見ようと思っている。



『もう一つの明治美術 明治美術会から太平洋画会』(もう一つの明治美術展実行委員会、2003年)


『日曜報知』223号(報知新聞社昭和10年7月)、198号、195号、3冊まとめて200円。この冊子には、小村雪岱、志村立美、岩田専太郎山名文夫、田代光、富田千秋、などが、安いだけではなく、見事な挿絵を繰り広げているので、つい衝動買いさせられてしまった。こんな安い本もネットにはない。



『日曜報知』223号(報知新聞社昭和10年7月)



小村雪岱:挿絵、子母澤寛「鉄火江戸侍」(「日曜報知」195号、昭和9年5月)



小村雪岱:挿絵、子母澤寛「鉄火江戸侍」(「日曜報知」195号、昭和9年5月)

雪岱が描く、この下三白眼の狐目の気の強そうな女は、なぜかそそるんだよね。



志村立美:挿絵、土師清二「旗本泥人形」(「日曜報知」223号、昭和10年7月)


今回の一番の買い物は、なんといっても竹久夢二『凧』(研究社、大正15年)だ。復刻本がでているので、よく知られているが、本物を手にすると嬉しさは格別で、なぜかドキドキしてくる。講演会などで使うには復刻本ではちょっと興ざめですからね。



装丁:竹久夢二竹久夢二竹久夢二童話集凧』(研究社、大正15年)



装丁:竹久夢二竹久夢二竹久夢二童話集凧』(研究社、大正15年)


これまで購入したことのない須田剋太の装丁本。
須田剋太とは
1906年 埼玉県吹上村で須田代五郎・ふくの三男として生まれる。本名 勝三郎。
東京美術学校(現東京芸大)を4度受験し、ことごとく失敗。
1927年 ゴッホ写楽と出会い、画家となる決心。
独学で絵を学ぶ。
1936年 文展で初入選
1939年 文展で「読書する男」が特選
1942年 同 「神将」で特選
1947年 同 「ピンクのターバン」で特選 一流大家への道が開けているのに、それらの名誉を古草鞋のように捨て
1949年 抽象画の旗手、長谷川三郎氏と出会い、国画会に入り抽象画の道へ。
1955年〜66年 毎日新聞東京ビエンナーレ国際美術展に出品する。(1963年を除く)
1957年 ブラジル・サンパウロビエンナーレ展に出品する。
1959年 アメリカ・ヒューストン美術展に出品する。
1960年 イタリア・プレミオ・リソーネ展に出品する。
1961年 アメリカ・ピッツバーグ・ガーネギー展に出品する。
1962年 西宮市文化賞。
1971年 週刊朝日街道をゆく」連載はじまる。挿絵担当。兵庫県文化賞
1977年 大阪芸術賞
1983年 「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞。
1984年 画集「私の曼蛇羅」を光琳社出版より出版
1988年 フジサンケイグループ広告大賞を受賞
1990年 7月14日午後5時28分。神戸市北区の社会保険中央病院にて。
84才で死去。


装丁:須田剋太、『私の実験室』(毎日新聞社、昭和29年)


更に久しぶりに購入した恩地孝四郎の装丁本等々、堰を切ったように買い続けた。

恩地孝四郎:装丁、『舞台と史蹟』(朝日新聞社昭和5年