明治20年代には四六判・並製本の『夏木立』などが格安で販売されたが、明治30年代に入ると、更にコンパクトになった三六判という小さな判型で与謝野晶子作の処女歌集である藤島武二:装丁、鳳昌子『みだれ髪』(伊藤文友館、明治34年)などが刊行される。


三六判とは、四六判全紙を40折りか44折りにした大きさを基準にしており、ほぼ縦18cm×横9cm。縦横の比率は2対1の縦長長方形。縦約18.2cm×横約12.8cm(出版社によって多少異なる)の四六判に比べ小振りで、携帯して音読する、という当時の句集を読書するスタイルにはより適した判型になっているように思える。



紙取り一覧。新聞紙をイメージすると紙取りがよくわかると思う。二ツ折にすると4頁、四ツ折にすると8頁、8ツ折にすると16頁の折り丁ができる。こうして片面40頁の折丁ができるのが、三六判だ。これは洋紙の全紙から紙取りした場合で、三六判は洋紙からイメージされて誕生した判型といえる。が、日本古来の判型にも三六判によく似た判型はあった。お経などの半径がそれだ。こうなると『みだれ髪』の判型のルーツは和本なのか洋本なのかという論争も複雑になってくる。



明治9年に刊行された教典、180㎜×72㎜。『みだれ髪』の判型と比率がかなり近い。



経本折だが書名も発行年も不明、190㎜×90㎜。



『みだれ髪』は縦19.3cm×横8.4cmで、通常の三六判より天地が大きいので三六変形判といわれている。小さくなったが価格は高騰。




藤島武二:装丁、鳳昌子『みだれ髪』(伊藤文友館、明治34年)定価三十五銭


表紙の絵について、扉には「この書の體裁は悉く藤島武二先生の意匠になれり/表紙画みだれ髪の輪郭は恋愛の矢のハートを射たるにて矢の根より咲きたる花は詩を意味せるなり」とある。「みだれ髪の輪郭は」と、ことさらに断っている所に、ハート型の愛に囲まれた表紙絵の女性こそが、恋の矢羽根に打ち抜かれ恋愛の虜になってしまった「みだれ髪」の本人なのでり、その恋愛によってほとばしる焔なのか赤い熱愛の汗なのか、によって描かれた「みだれ髪」という書物が誕生した、ということを認識させようとする意図が感じられる。


ちょっとふやけたような矢の先はペンを意味させようとしているのか? ペン先から舞うように描かれた花は何の花なのか判明しない。ナデシコとか石竹のように見えるが、希望としては、真っ赤なケシの花であって欲しいが、明治になってから輸入された花を描いたのではないかと思われる。「矢の根より咲きたる花は詩を意味せるなり」とあるので、この情熱の花が、熱愛を貫いた矢によって書かれた晶子の俳句なのだろう。


それにしても「みだれ髪」を『ミだ礼髪』としたのにはどのような意味があるのだろうか? 「みだれ髪」というタイトルだけでも十分にエロティズ厶を感じ取ることが出来るので、この書物が、発売当初は禁断の書、悪魔の書といわれたというのも理解できる。何度読んでもなかなか理解できない句が多いので、私は、佐藤春夫『みだれ髪を読む』( 講談社、昭和34年)を道しるべにして読んだのだが、晶子のエネルギーには感服させられた。とにかく熱い。