『NHK美の壺 文豪の装丁』(NHK出版、2008年)を購入。テレビ放送再録の本だと思うが、タイトルの『文豪の装丁』というのが気になった。普通に理解しようとすると、「著者自装の本」と解釈でき、著者が自ら装丁する本の話かと思って購入したのだが、内容は、「文章・文学にぬきんでている人の装丁(ブックデザイン)」の話ではなく、「文豪の本の装丁」という内容だった。つまり「夏目漱石本の装丁」ということで、漱石自身が装丁した本の話ではないのでご注意を。



NHK美の壺」製作班編『文豪の装丁』(NHK出版、2008年)


本文中にも、ちょっと気になる内容がある。14ページの「『明治になって活字印刷の技術やパルプを使った用紙の製法が入ってきた。本のつくり自体も洋装のほうが馴染むということで、製本様式が一変しました。明治二十年代頃のことです』本の歴史に詳しい誠心堂書店の橋口侯之介さんは、そう説明する。」とある。

が、果たして「製本様式が一変」したのは「明治二十年代頃のこと」であろうか。疑問に思い、書棚を探り、手持ちの本で調べてみた。


一般的には「我が国への本格的洋式製本の導入は明治6年のお雇い外国人A.パターソンの来日に始まる。」とされ、その後、明治10年代にはボール表紙本とよばれる簡易の洋式製本形態がブームになり、架蔵書だけでも百数十冊もある。なかでも明治11年刊のジュール・ヴェルヌ『新説八十日間世界一周』などは復刻本が出ているのでよく知られている。それ以前にも箕作麟祥譯『仏蘭西法律書』(文部省、明治7年)、内田正雄『官版輿地誌略』(明治7年7月)や松本伴七郎『証文文例』など、明治一桁年代にも既にたくさんの洋装本があった。最近の研究では、それ以前の江戸末期にも洋装本は国内で作られていた可能性がある、としている。


政府関係の出版物がいち早く洋紙を用い活版印刷で刷られ、洋装本化さた。特に政治・法律関係のものは、明治10年以降には和装本は殆ど見られなくなった。医学書や自然科学書、経済関連の書物、なども明治10年代には洋装本で刊行された。明治12年頃には和装本と洋装本の比率は半々くらいだとする説もある。


さらに、大沼宣規氏は国立国会図書館の所蔵本として『国立国会図書館蔵書目録 明治期』(冊子版/j-bisc版)に登録されている明治期の刊本11万件(巻数ではなくタイトル数)を調査し、「江戸時代に主流であった和装本明治10年頃まで、その位置は揺るぐことがなかった。明治10年代になると洋装本が登場し、明治18年から20年頃にかけて、和装本は想定(*装幀?)の主流の一(*位置?)を洋装本に明け渡した」(「明治期における和装・洋装本の比率調査―帝国図書館蔵書を中心に」『日本出版史料』8、日本出版学会・出版研究所共編、日本エディタースクール発行、2003年5月 所収)と記している。


取り合えず手もとにあり、すぐに掲載できる明治10年代に刊行された洋装本を掲載してみよう。



箕作麟祥譯『仏蘭西法律書』(文部省、明治7年)



内田正雄『官版輿地誌略』(明治7年7月)



『日本地誌提要』(日報社、明治11年



『官令新誌 拾遺一』(報告社、明治11年



香雪居士戯『人の了管違』(天野皎、明治12年



川島忠之助訳、ジュール・ヴェルヌ『新説八十日間世界一周』(慶応義塾出版社、明治13年



戸田欽堂『民権演義 情海波瀾』(聚星館、明治13年



『小学女禮式』(同源社、明治14年



『BARNES'NEW NATIONAL READERS 1』(明治16年


教科書も明治12年刊、宮本三平編『小学普通画学本』(文部省印行、明治12年)では、すでに洋式製本を取り入れており、洋装本は明治10年代にはかなり普及していたということが理解できるであろう。



宮本三平編『小学普通画学本』(文部省印行、明治12年


明治20年代になると、より安く生産効率のよい本が求められるようになり、坪内雄蔵『浮雲』(金港堂、明治20年)、山田美妙『夏木立』(金港堂、明治21年)、幸田露伴『寶の蔵』(学齢館、明治25年)、幸田露伴『尾花集』(青木嵩山堂、明治25年)など、四六判の並製本が出回るようになる。この並製本の普及が和装本を凌駕するようになり、博文館や民友社などの出版社の創立が洋装本の急速な普及に拍車をかけ、市場における販売数は完全に和洋逆転する。



坪内雄蔵『浮雲』(金港堂、明治20年



山田美妙『夏木立』(金港堂、明治21年



幸田露伴『寶の蔵』(学齢館、明治25年



幸田露伴『尾花集』(青木嵩山堂、明治25年


こうして見てくると、「製本様式が一変しました。明治二十年代頃のことです」とするよりは、10年代には既に和装本は洋装本に取って代わられ、20年代には洋装本での出版点数も増え、和装本はとどめを刺されてしまった、と、すべきではないかと思われる。