2011-12-18から1日間の記事一覧

カバーのルーツを辿ると下記の和本のように、筒状の紙に包んでいたのが原点だったのではないか、と私は考えている。和本の場合は表紙が柔らかく、筒状に丸めれば筒状の紙に(底のない袋の様なもの)挿入するのが簡単だったが、洋本になってからは『国文学史教科書』表紙がボール紙を芯紙とした堅表紙になり、筒状の封筒では扱いが困難なため、糊で接着していた部分を糊づけせずに、書物の表紙の裏に折り込んだのではないかと思っている。

(筒状の封筒の名称について、某大学のA准教授から「書袋(しょたい)」という、との電話でのご指示を頂きました)。 そうだと仮定すると、国産ボール紙が量産されるようになった明治20年代頃からカバーが付いていた可能性も考えられる。 一陽斎豊国・画、柳…

現在使われているようなカバーはいつごろ誕生したのだろうか? 紀田順一郎さんによると、(函は)日本独特のもので、「現在のような形としては、夏目漱石の『三四郎』(1909[明治42]年)が最初の部類で、本のカバーやオビなどとともに、明治四十年代に日本のブック・デザインの基本がきまった」(「図書設計」39号)という。そこで、私も早速、本箱を漁ってみたら、それらしき本が2点出て来た。今回アップした書物はジャケットが付いていたおかげで、どの表紙も発売から100年以上も経過したとは思われないほど綺麗に保たれている。

落合直文・内海弘蔵『国文学史教科書』(明治書院、明治36年)上は、教科書のジャケット、いろいろな内容を詰め込んでおり、オビの役目なども果たしている。下は教科書なのに豪華な装丁用クロス装上製本の表紙 磯村大次郎『実用刺繍術』(博文館、明治40年3…