いわむらかずおさんの「絵本の丘美術館」に行ってきた。いわむらさんは、1983年『14ひきのひっこし』(累計売上91万冊)、『14ひきのあさごはん』(同101万冊)から始まる14匹のねずみのシリーズは、家族のお引越しやピクニック、芋ほりに、お月見、スキー遊びといった家族団らんの喜びを描くロングセラーを送りだす絵本作家。「絵本の丘美術館」は栃木県那須郡馬頭町の丘の上に建つ美術館。秋色に染まった木々の間を通り抜けると、林の中に突如として美術館が飛びだしてきて、まるで「紅葉のトンネルを抜けると、そこはおとぎの国」



建物外観が写っている写真はこれ1枚しかありませんでしたので、見苦しい輩が映っていて申し訳ありません。



エントランスとでもいおうか、アケビの蔓が絡まった玄関です。



スウィーツもかわいくて、美味でした。


こんな画面が14匹のねずみにもあったような……絵本の中にタイムスリップした瞬間でした。


14匹のねずみ達が、どこからか飛び出しててきそうな森の中に、美術館はありました。



絵本の丘からの眺望。夕日が美事らしいが、残念ながら4時には高速に乗りたいとおもい、後ろ髪を引かれながら、夕日を見ずに美術館を後にしました。



「絵本の丘美術館」のリーフレット



私の愛読書、いわむらかずお『トガリ山のぼうけん』(理論社、1995年18刷)。
製本にちょっとだけ不満があります。
製本が「断裁無線綴」という、折り丁の背の部分を断裁して糊をつける、いわゆる「糊製本」になっているため、何度か開閉しているうちに、ひらひらと1枚1枚ばらけてしまいます。
繰り返し読む可能性のある本は出来れば、「糸かがり製本」にして欲しい。糊製本にするのでしたら、せめて背を断裁しない「あじろ綴(と)じ」にしていただけると、こわれにくく、気兼ねなく何度も繰り返し読むことが出来るようになります。採用した紙は断裁無線綴じの時には糊との相性も悪いようです。


人に優しいデザイン、ユニバーサルデザインとは、こんな所にもさりげなく気を配ることではないでしょうか。本を作るときに考えたという条文に、丈夫な製本にすること、というのが欠けていたように思いました。



これまでの私の大好きな、現役デザイナーによる装丁は、真鍋博(1932-2000年)装丁/山川方夫『日々の死』(平凡出版、1959年)、杉浦康平装丁/斎藤慎一『ぶっちんごまの女』(角川書店、昭和60年)でしたが、更に新たにいわむらかずお『トガリ山のぼうけん』(理論社、1995年)が加わりました。


最近の装丁はカバーだけを如何にかっこよく作るかに腐心していますが、この3冊については、表紙を眺めただけではわかりませんが、手に取ってもらえばすぐに装丁に対する深い思慮と執念のようなものを感じることができるものと思います。1枚の絵がどこまでもつづいており、カバーから表紙へ、そして見返しへと。ときには、小口をぱらぱらとやっていると、そこに一枚の絵が飛びだしてくる。採算を度外視して一体どのくらい手間と時間をかけているのだろうかと思わせる。採算性のリスクは多くはデザーナーが背負うことで解消していることが多く、こんな手の込んだことをするデザイナーは、リスクなど気にも留めずにそんなマニアックな作業を楽しみ、完成品の素晴らしさに満足することで、不満を解消しているいる風でもある。


書物を単に著者の情報を伝える(読む)という単一の機能だけに閉じこめず、本を手にする喜びをとことん追及して考えてくれている。装丁とはこんなものなのだ、と教えてくれている。それを読み取ったときには、身震いをするような嬉しさに包まれ、鳥肌が立ちました。


時には、時間をかけて読んだ本文よりも、大きな感動を与えてくれるのが装丁なのだ、と、納得させられる装丁があり、そんな装丁に出会うのを楽しみに、毎週のように古書市に通い、ネットで渉猟している。『トガリ山のぼうけん』は、久しぶりに出会った、装丁者の思いが、胸キュンさせるほどに伝わって、頬ずりしたくなるような愛しい本「頬ずり本」で、これが糸かがり製本になったら添い寝したくなるような本「添い寝本」へと昇格すること間違いなしです。増刷するときには、是非とも考慮してください。


真鍋博:装丁、山川方夫『日々の死』(平凡出版、1959年)



杉浦康平:装丁、斎藤慎一『ぶっちんごまの女』(角川書店、1985年)
『ぶっちんごまの女』の装丁については、拙書『装丁探索』(平凡社、2003年)で、詳しく説明していますので、ご興味のある方は、図書館ででも是非御覧下さい。