板木に彫り和紙に摺り糸で綴じた和式製本(和綴)から、洋紙に活字で印刷し、折丁を糸で縢る洋式製本ヘの技術革新は、単なるバージョンアップではない。幕末の草子や合巻もののように年に二〜三回発行で、文字数の少ない視覚的な情報装置から、一冊に大量の文字情報を貯蔵し、短期間で制作・伝達する装置への大転換であり、文字を中心とした新たな大量情報伝達装置の誕生なのであり、今日のブロードバンドにも匹敵する大変革なのである。


サミュエル・スマイルズ『自助論』を訳した中村敬太郎(正直)訳、木平謙一郎板『西国立志編』の初版は十三篇十一冊、半紙判、和紙和綴、木版印刷黄表紙で明治四年に七月に刊行した。(*木平謙一郎板『西国立志編』十三篇十一冊のうちの1冊をネットで購入。明日には届くものと楽しみにしている。)



中邨敬太郎(正直)訳、木平謙一郎板『西国立志編』初版、十三篇十一冊(明治四年七月刊)



中邨正直『改正西国立志編』(木平譲蔵板、明治10年


この十三篇十一冊の和とじの冊子が、明治十年二月普及版『改正西国立志篇』として、佐久間貞一苦心の麦藁を混入した国産初板紙(ボール紙)を表紙の芯紙に使ったといわれる背皮金箔文字、布装、活版印刷842ページの分厚い洋装上製本に大変身して刊行された。これは『西国立志編』という本が、和本から洋本という新たに登場した大容量の情報伝達システム(メディア)への移行を象徴的に読み取ることができて興味深い。


 明治初期に文字を主体にした新しい様式の書物の誕生を可能にしたのは、印刷技術や抄紙技術の革新だけではなく、文字を解読し情報を得ることが出来る読者(literacy)の誕生があったことも大きな要因であった。明治五年の学制公布による教育の普及が、洋本化の環境を整え促進させる一因となったともいえる。ちなみに「明治初年の日本人の識字率は男子四十〜五十%、女子十五%と推定されている」(R.P.ドーア『日本における近代化の問題』)。