古書市の帰り道に寄った古書店の店頭に、梅原正紀『近代奇人伝』(大陸書房、 昭和53.06)が100円で出ていたので、購入しようかどうか迷った。余りに荷物が多いので、来週来た時にでも購入しようと思って買わずに帰宅。翌日、急にどうしても欲しくなり、仕事が終ってから、高円寺に行ったが、既に売れてしまっていた。ネットで購入しようと思ったら、結構高い。こんなときは、かなり悔しい。


伊藤晴雨に関しては、福富太郎編『伊藤晴雨自画自伝』、斎藤夜居『伝記・伊藤晴雨』、 団鬼六『外道の群れ 責め絵師伊藤晴雨をめぐる官能絵巻』 (朝日ソノラマ、1996年)などを読んで興味が湧いてきたので、もう少し集めて見ようかという気になっている。絵描きのエネルギーの根元がどこにあるのかを探っているが、晴雨の場合は、性的コンプレックスがあのものすごい絵を描かせたという。



福富太郎編『伊藤晴雨自画自伝』(新潮社、1996年)、斎藤夜居『伝記・伊藤晴雨』(青弓社、1996年)


古書市で300円で購入した本で、今通勤の電車の中で読んでいるのは、青山毅『総てが蒐書に始まる』(青育舎、1985年)。購入の動機は円本についての内容があったから。でも頭から読んで見たが、結構引き込まれている。円本については新聞広告などもかなり詳しく調べており、その収集に就いてはかなり教えられることが多い。が、何か物足りない。これだけ意欲的にデーターを収集する目的がよくわからない。集めた結果、何を伝えたかったのか。書誌学というものは、そもそもそんなものなのかも知れないが。



青山毅『総てが蒐書に始まる』(青育舎、1985年)


私が円本の話に興味を持ちその話を書いたときには、『現代日本文学全集』の第6回配本の時に、なぜ漱石を持ってきたのか、なぜこのときから布装になったのか、などを論証するための収集で、データ収集そのものが目的ではなかった。