架蔵書(ゲテ本)が海外の展覧会に出張します!

【架蔵書(ゲテ本)が海外の展覧会に出張します!】
 今から20〜30年ほど前に蒐集していた書籍20冊が、海外の展覧会に出張することになりました。




 主には、書物展望社斎藤昌三昭和8年頃から企画・プロヂュースした本で、装幀に廃品を利用したゲテ本(奇抜な資材を使い奇をてらった本)といわれている「美しい本」です。
 例えば、写真にあるように、杉の皮を使った本や、筍の皮を使った本。他には、破れた番傘や、みのむしの袋、斎藤に届いた封筒、古い新聞、着古した浴衣などなど、まさにリサイクルの優等生のような本ばかりで、不用品に新たな命を吹き込むゴットハンドのような斎藤の汗の結晶ばかりです。




斎藤昌三の本は手に入れたときに、いつも感動させられる。今日みなづき書房から届いた斎藤昌三『第八随筆集 新富町多與里』(芋小屋山房、昭和25年1月1日)も、そんな刺激的な装丁の本だ。 函(写真左)には、手書きの生原稿が貼ってある。斎藤昌三の原稿だろうか。これは1冊しかないという事を強調しているのだろう。「限定300部之内第81号本也 少雨荘(サイン)」とあるので、これ1冊だけしかないというような細工を施してあるのだろう。
 表紙は、紙型(しけい)という、活字を組んで、印刷用の鉛版を作るときに使用する厚紙でできた、凹版である。一度校正刷りを印刷しているので、紙型にはインクが写っており、文字が読める。『秋水詩稿』に付いての話を印刷したときのものらしい。題簽は鉛でできていて、これは、鉛凸版と呼ばれるもので、印刷の活字のようなもの。つまり文字は鏡文字になっている。角背だが、背革(あるいは背布)がなく、折丁をまとめた背の部分に薄紙を貼ったままになっている。製本としては壊れやすいのであまりお勧めではないが、不断見る事のできない資材を使用したのは奇をてらった面白さがある。斎藤昌三の不用品の再生というコンセプトも見事に貫徹されている。
 さらに、この本文はなんと洋装本であるにもかかわらず、和本のように本文紙は片面刷り二つ折りなのだ。更に和本と違って山折の部分が背になっており、小口側は、ぺらぺらと開くようになっている。そのため、見開き毎に真っ白な頁が交互に登場するのである。つまり、開いたときの蝶々が飛び立つように見える胡蝶本のようなものである。城市郎『発禁本曼荼羅』には「斎藤昌三第八随筆集で、昭和二十五年一月一日、芋小屋山房から限定三〇〇部として刊行されたもので、ある。表紙は古紙型装胡蝶綴、題簽の鉛板を表紙左上に嵌入、原稿貼付外函入、菊変型判」とあり、初心者には、なかなかわかりにくい詞の羅列だが、的確に言い表している。  こんな装丁、冗談もいい加減にして欲しい、と書物は読むものとだけ考える一般人なら怒り出すところだろう。しかし、私には嬉しい仕掛けなのだ。これだからこそ斎藤昌三の限定本といえるのである。正に戦前から続く前衛的装丁の代表作といえる作品である。




斉藤昌三装丁、山中笑『共古随筆』(温故書屋、昭和3年)蠶の種紙を集めて表紙の資材とした。
 表紙をよく見ると、直径1mmほどのキラキラ光る点がたくさん集まって、直径4cmくらいのドーナツ形を形成している。見返しに「読者の方に」として刊行者の坂本篤が、「表紙は蠶(*かいこ)の種紙を利用したものです。茶碗を横にして卵子を軽く磨きますと光沢を生じます。」とある。 



普及版でもこの見事なゲテぶり「魯庵随筆読書放浪」 
東京古書会館のアンダーグランドブックカフェで、斎藤昌三の装丁本を久しぶりに購入することができた。『魯庵随筆 読書放浪』(書物展望社昭和8年5月)がその本。いつものゲテ本の例に漏れず、今回は新聞紙を用いた装丁である。この本は、普及版第二刷500部刊行のもの。ちなみに第一刷は昭和8年4月に1000部刊行している。わずか1ヶ月での増刷である。  巻末に、斎藤は装丁について、「裝幀は第一随筆集の普及版に紙魚本を応用したので、多少類似性のものを選み、兩者の關聯と統一をも考へて、矢張り癈物的な日刊新聞を活用して見た。然し新聞も生地そのまゝでは興味はあるが、持久力の點ですこぶる懸念されたので、製本部の中村に研究さした結果、クロース以上といふ折り紙付きの加工法を發見して應用することにした。」と記しておいてくれた。私にはこれが有難い。  この本を購入する際も、古書市の帳場にいたかげろう文庫さんが、「これ本物の新聞を使っているのですかね?」といぶかしげだった。私も「新聞紙にしてはつるつるして紙質がいいような気がしますね。でも斎藤昌三はいつも本物を使っているので多分本物だと思いますよ。2冊目を購入できれば、記事が違うのでわかるんですがね。』なんて会話をした。  そのくらいいに見事な仕上がりになっていた。どのような加工を施したのかはわからないが、膠と明礬(みょうばん)をと化した水を吹きかける、礬水引き(どうさびき)をすると、このような感じになる。柿渋を塗るのも方法かと思われるが、仕上がりが渋で茶色になる。  斎藤昌三の人物像も気になるが、いつも斎藤のわがままを聞き入れて見事な製本に仕上げてしまう、製本師・中村重義に乾杯!‼︎




斉藤昌三装丁、中村重義製本、小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社昭和9年、限定980部之内511号)ミノムシを集めて背の資材とした



友仙の型紙を使った『銀魚部隊』 
齋藤昌三の第5随筆集となる『銀魚部隊』(書物展望社昭和13年)も廃品を利用したゲテ本だ。 巻頭の「序」には、
「外裝は又かと思はるゝ如きものにした。友仙その他の型紙で、從って一冊毎に異なってゐるは勿論だが、見返しは一冊々々表紙貼りの前に、その表紙と同じ型を摺り出したので、それを合わせるのに製本所の苦心は並大抵ではなかつた。これだけは、恐らく他では到底出來ぬワザであらう。」
と、昌三翁は、今回も得意げだ。
 『銀魚部隊』の製作にかかわった女子社員の高野ひろこ氏の証言が『日本古書通信』第27巻(古書通信社、昭和37年)に掲載されていたので、引用させてもらおう。 
「私が入社して間もなく出版された先生の著書に『銀魚部隊』があった。凝った装幀にかけては日本一と言われただけに、実に見事なものである。この出版の時、外裝に使用する友染の型紙を捜しに先生のお供をして、日暮里あたりの或る古物屋に行ったことがある。古物屋と言うよりバタ屋とでも言った方がよいくらい最高に汚い所で、そこで廃物になった友染の型紙を買い求めたのだった。一枚一枚画柄の違ったその型紙は一冊一冊異った装幀の本を生み出した。見返しに表紙の画柄を摺り出したものを使用したのだから、製本所の苦心も並大抵ではなかった。」 と、齋藤の強引さが目に見えるようだ。




斉藤昌三装丁、中村重義製本、斉藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社昭和7年、限定1000部之内198号)番傘を集めて表紙の資材とした
 一冊だけ作るならまだしもここまでマニアックな装丁を量販本で作るのは、今では殆ど不可能であろう。限定本とうたっているが、番傘を表紙の資材に用いた斎藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社昭和7年)は1000部も発行している。材料を手に入れるだけでも大変だと思う。
 「序にかえて」には「吾々如き文集がそう度々出そうにも思はれないので、たとへボロでも身分相応、世間並みの着物くらいは着けさせねばなるまいと考え、内容の大体が多少の補修を下とは言へ二番茶であり、既に処女性は失われてゐるから、そんなものに晴衣はモッタイナイと思ったので、何か廃物で活用できるものこそ相応はしいと考へた結果が表装材料を番傘とした。雨傘は捧げられた者の為に雨水を凌いで、御用を果たした揚げ句は屑屋の厄介者にされるものだし、少雨荘の名にも因縁あるもの、こんな物こそ自分の著書には適した晴衣だと試みてみた。」と廃物利用の動機を語っている。

「無論初め三四回は失敗したが、製本所泉人社の中村は、曾て漱石の『猫』の縮刷本で苦心したことがあるといふので、進んで研究したり、古傘の不足を深川のタテバへ探しに出かけたりで、いよいよ出来上がつたのを見ると、貴族的な羽二重などより遙かに似合ってゐた。これでこそ内容も活き外装も復活甲斐があると独りで合点してしまった。」と、タテバ(注、屑屋などが集まって、その日に買い取った品物を売り渡す問屋)へ出かけて番傘を集めたりと、方々手を尽くして集めたようだ。



斉藤昌三装丁、中村重義製本、木村毅西園寺公望』(書物展望社昭和8年)筍の皮を集めて表紙の資材とした。
西園寺公望』「吉例巻末記」より
「西公は平常竹を愛して雅號を竹軒と称してゐる。これから第一ヒントを得て、第二は、常用に竹の杖を用いて居られるように考えた。それに竹は東洋特産のものであり、公は東洋の代表的人物であると共に、公の性格も竹の如く直情そのものである如く考へ、竹なる哉〜と、竹の應用を獨りできめて了つた。筍皮を書物に應用した例は大正期に一二試みた者がないでもないが、いづれも完成されたものとは云い得られなかった。……背の竹は三面から合せることにし、眞田紐を以て〆め上げたのは、披讀に際し机上を傷めぬ要意も多少はあって、文字は一部宛彫刻(少部数は岡村梅陀氏自刻)することにした。平面の筍皮は研究に研究を重ねた結果の、特製の糊を使用したので、竹と共にこれは恐らく永久に剥れる憂ひはないと信ずる。兎に角一見奇異な書物となったが、東洋趣味をモットーに新たなものにと努めたつもりである。この努力が多少でも面白いなと認めて貰えるとしたれ、その大半は萬事相談相手となった柯青君と製本部の中村重義君の熱心に負う所が多い。因に背の竹は初めから枯らされたものをとも思ったが、青い竹も一時的ながら野趣があるといふ木村君の賛意もあって、それにした。架蔵中に漸次變化して行くことも、曾てない特色ある興味であらうと思ふ。」と筍皮や竹を使った理由を述べている。




佐野重次郎:装丁、横光利一『時計』(創元社昭和9年ジュラルミン装。





 なんと、私が作ったゲテ本?(写真下2点)も出品することになりました。

『L'atolantide』漆を使って、象嵌螺鈿、研ぎ出しなどの技法を駆使して、1年がかりで制作。針金で作った女王様や黒豹やラクダなど話に登場する人物や動物を太陽と砂漠のイメージに中にコラージュした。



織田信長』大学などの「文庫本を上製本にリメイクして、世界に1冊だけの装丁を作る」という実習のための見本に作ったもの。幕末の頃の和装本を分解して表紙に貼った。刀の鍔は美術館で購入した大量生産されたものを使った。