与謝野晶子とミュシャ

shinju-oonuki2006-10-11

昨日、笠間書院八木書店と打ち合わせをすませ、駿河台下の横断歩道を渡っていると、向かいにある三茶書房の入り口にアルフォンヌ・ミュシャの挿絵を使った全判のポスターが飾ってあるではないか。そのタイトルが「与謝野晶とミュシャ」。あまりも衝撃的なこのポスターに引き込まれるようにして三茶書房に飛込んだ。


アール・ヌーボーについては、「みだれ髪歌かるた」等を通じて話してきたように、今の私の興味の矛先にどんぴしゃりの的がとび出してきたようなものだ。いきなりレジに行って「表に貼ってあるポスターの展示会の図録などこちらで扱ってはおりませんでしょうか?」と訪ねると、棚を探して、「1冊預かっているので、差し上げます」と、思いもかけず下記写真のような図録を簡単に入手することができてしまった。


電話などで美術館から図録を取り寄せられないだろうかと思っていたのが、その場で手に入れる事が出来るなんて、こんなラッキーなことがあっていいんだろうか? 三茶書房さんありがとう。


その後、社長の幡野さんと立ち話をしていたら、来年「笛吹川芸術文庫」をオープンさせるそうで、その建物は、国登録有形文化財(旧武藤酒造・主屋、米蔵)で、実は幡野さんの実家らしい。展示内容は、芸術、文学歴史文献の展示で、ただいま準備中という話を伺った。こちらも興味ある話だった。


さて、話を「与謝野晶子ミュシャ」の図録に戻そう。事務所に戻るまで待ちきれず、帰りの電車の中で読み始め、開いた途端に唖然とさせられるほどのショッキングな写真が掲載されていた。図録「与謝野晶子ミュシャ」(堺市立文化館、2006年)から転載させてもらおう。



明星の表紙装画や挿絵を描くときに参照にしたミュシャの絵と、それらのエッセンスを取り入れ描かれ発表された明星の表紙等が、元の資料と並列に掲載されているではないか。


写真下の挿絵が『明星』に登場するのは1900年9月刊行の第6号である。与謝野晶子『みだれ髪』の刊行が1901年8月である。約1年ほどのこのタイムラグに私はずっと引きつけられていたのだ。


ミュシャの作品が雑誌の表紙や挿絵として登場するのは、1890年からで、「ラ・プリュム」「ル・モア」「ラ・ヴィ・ポプレール」「イマージュ」「イリュストラシオン」など。1897年7月から「ラ・プリュム」でミュシャ特集を企画する。「藤島武二、一条成美、杉浦非水、長原止水ら『明星』に関わる画家たちが「ラ・プリュム」のミュシャ特集号を目にしていたことは間違いない」(「与謝野晶子ミュシャ」)、という。


黒田清輝が1900年巴里万国博覧会の視察から帰国したのが19001年5月で、その土産品の中に、これ等の雑誌も含まれていたのであろう。非水や中沢弘光が土産品のアールヌーボー作品と晶子の『みだれ髪』に強い影響を受けて、「みだれ髪歌かるた」を創作しただろうことは容易に推察出来、想像は難くない。

しかし、晶子が『みだれ髪』を書き刊行するきっかけは、なにか西洋の美術品の影響を受けているものと思われるが、期間などを考慮すると黒田の土産品ではなく別の資料があったはず。ミュシャたちのアールヌーボーの影響を受けての創作ではないかという仮説を立てるとしたら、輸入雑誌の入手ルートなどを調べる必要があるだろう。


なお「与謝野晶子ミュシャ」展は、
於:与謝野晶子文芸館 アルフォンス・ミュシャ館(JR阪和線堺市」駅下車すぐ)
期 間:9月9日(土)〜11月5日(日) 休館日:第2・第4月曜日
お問い合せは、文化館(電話072-222-5533)。
【展示替のための臨時休館】
9月4〜8日、10月9〜11日

 当館は、堺出身の与謝野晶子の多彩な活動を紹介しその魅力を知ってもらうことを目的として平成6年に開館しました。当初より、晶子が活躍した文芸雑誌「明星」の表紙絵や挿絵に取り入れられたアール・ヌーヴォーの代表画家アルフォンス・ミュシャの絵画と与謝野晶子の文学を同時に楽しんでいただけるユニークな施設として運営してきました。本展では、当館の特徴を生かし、与謝野晶子アルフォンス・ミュシャという2人の芸術家の生涯を紹介するとともに2人の接点や共通点を知っていただきます。
 与謝野晶子の自筆資料や遺品、著作など約70点を展示します。

与謝野晶子美術館のホームページに「ミュシャのポスターは、「明星」で与謝野晶子の歌の挿絵に取り入れらえて広く日本人の目に触れるようになりました。与謝野鉄幹や「明星」のデザイナーたちが与謝野晶子の歌の世界とミュシャの世界が共通することを理解していたからです。」とあるが、間接的ないいまわしで、よく理解できない。


晶子が「髪」に興味を持ったのは、ミュシャの影響である、と解釈してもよいのだろうか。その辺が一番興味をひかれるところなんだが。