黒田清輝がそそのかしての誕生か?

 
芳賀徹はカルタ製作のきっかけについて『みだれ髪の系譜』に「黒田が二人の書生にそそのかしたのであったかもしれない。それがまた多分黒田の口きき、晶子自身の雑誌に紹介されることとなったのでもあろうか。」と推察している。写真の右の2枚が中澤の作であり、左の2枚が杉浦の作。この頃の杉浦のモノグラムは「S」である。後に非水を雅号として名乗るようになってから「非」または「非水」を使用している。
 
中澤弘光は東京美術学校を卒業し、白馬会の会員として第1回から出品している。杉浦朝武は、東京美術学校在学中から黒田清輝についてフランス語や洋画を学んでいた。二人とも麹町平河町の黒田宅に寄宿していた。
 
 
二人ともに、藤島武二も表紙で使用した「翅ある童」=キューピットやハート、竪琴、骸骨などの西欧のモチーフをとりいれており、黒田清輝が持ち帰ってきたアールヌーボーの香りをふんだんに漂わせ、西洋を短歌の中に取り入れようとした晶子の作品と連動したカルタとなっている。芳賀は「晶子の歌の濃厚な世紀末趣味を、そのサークルから程遠くはない二人の画学生が視覚の上に解釈し直してみせた実験例として、はなはだ興味深いのである。」と評している。