非水は「植物本来の生育状態や其習性の観察が本当でなかったら、自然の命は捕まえられたものではない。一局部の写実の綜合は自然への冒瀆であるかれである。」(非水漫録(四)、『アフィッシュ』)と、自然の状態で育ったものでない花の部分だけ写生は「自然への冒瀆」だと、きびしく批判する。
「非水の日本画の素養の中で培われた資質とヨーロッパのアール・ヌーヴォーとの出会いの、最も見事な結実であるのが、1902年から1922年にかけて出版された『非水百花譜』全二十輯ではないだろうか。アール・ヌーヴォーの線と面は特に植物の表現において向いていると先にのべたが、日本画の植物写生もこれに合致している。林学と植物学を専門とする技師であり南画家であった高島北海(1850-1931年)の植物デッサンがナンシーのエミール・ガレを刺激して、生々した花や草木の装飾をつくりだしたといわれている。杉浦非水も日本画から入りながら、黒田清輝のもとに寄寓し、日本画、洋画、ヨーロッパ美術という三つの近代を横切っていったのである。これはアール・ヌーボーの表現にきわめて有利な位置にあったといえるだろう。
『右手に日本画、左手に洋画と云ふ欲張ったブラッシュを握り乍らそれ等の浅薄乍らの知能を基礎として今は一念ひた向きにアール・ヌーボー式な図案に突進するより外何物をの欲望もなかったのであった』と非水は語っている。アール・ヌーヴォーにおいては、三つの近代は一つのものとして感じられていたのである。」(海野弘「モダン・スタイル再訪─杉浦非水」、『日本のアール・ヌーヴォー』1988年)
「ウィリアム・モリスが壁紙や更紗の文様において、自然からの写生と、その平面装飾化を、ゲシュタルト群を使って表現したように、杉浦非水もより不規則な植物の形を構造化している。『非水百花譜』の「沈丁花」や「草夾竹桃」や「山ぶどう」といった植物画をみると、自然というものの見事な写実とともに、明瞭なそのゲシュタルト化を見ることができる。自然の花は決してこのようにはっきりと見えることはない。自然においてかくされている輪郭線をとりだし、境界を分けることで、自然のマチエールが、群化されディテイルによって構成されてくるのである。……非水の最良の部分がここにある。それはアール・ヌーボーとの出会いなしに生まれなかったものだ。そこでは抽象的な線ではなく、生きた花が私たちを迎えるのである。」(前掲書)