●●創作版画運動と新版画運動の衝突が生んだ竹久夢二、木下杢太郎、恩地孝四郎の装丁

 近代版画を考えるとき、大きな二つの潮流があることに気がつく。創作版画を標榜する人達が意識の中から外すことが出来なかった浮世絵系の版画製作者達が存在し、彼らが形成した版画運動が「新版画運動」である。新版画運動は版元・渡辺庄三郎によって提唱された。幕末から明治にかけての浮世絵の衰退ぶりを嘆き、橋口五葉、吉田博、安井曽太郎などの洋画家に創作を依頼し、その存在感を全面に押し出し、画家の創造性を尊重した新たな作品を作り出し、江戸浮世絵の隆盛再興を願った。


 もう一つ、明治末期に山本鼎恩地孝四郎前川千帆らが中心となって進めた「創作版画運動」。自分の作品に他人が介入するのを嫌い、自ら描き、彫り、刷る「自画」「自刻」「自慴」を主張し、制作工程のすべてにおいて自己の主張を一貫させた。 
 これ等の二つの版画運動が互いを牽制しながら、それぞれに活発な活動を展開し、共に装丁にも手摺木版などを使った見事な作品を作り出し大きな足跡を残した。


特に創作版画には著しいものがあり、初期の山本鼎や織田一麿に較べ、恩地孝四郎装丁には斬新さがあふれている。


恩地孝四郎:装丁、井上康文『手』(素人社書屋、昭和3年


伝統的な製法を標榜する新版画も安井曽太郎伊東深水を担ぎ上げ、創作版画との論争に対抗した。竹久夢二や中沢弘光なども伝統的なスタイルの版画家である。
 木下杢太郎との見事なコンビネーションで、

木下杢太郎:装丁、小宮豊隆『黄金虫』(小山書店、昭和9年



木下杢太郎:装丁、結城哀草果『すだま』(岩波書店昭和10年



木下杢太郎:装丁、木下杢太郎『雪櫚集』(書物展望社昭和9年
など美しい手摺木版の作品を多く残した伊上凡骨は、そんな伝統的な最後の木版師といわれた。


 その凡骨について、与謝野晶子は、「早く江戸時代からの木版術の伝統を滅びようとする明治時代に、その技術を洋画家の版画に活用することに由って、復興を計った唯一の改革者であった。(中略)その後ジンク版、写真版、三色版などが普及し、大量の印刷に適するとともに安価でできるために、氏の木版術は殆ど需要を失ってしまったが併し氏が洋画家として文壇名家の装丁と装画に新生面を開いた功績は、日本版画史の上に不滅であり、其の多くの遺作が後の世にまで其れをしょうめいするであろう。(「心頭雑草」、『冬柏』昭和8年)と絶賛し、江戸の伝統を伝える最後の版画技術者といわれた凡骨の技の冴は、今日では作り出すことはできないだろうとおもわれるような見事な作品、木下杢太郎とのコンビで作り出した手摺木版による装丁によって認められる。