名取春仙の装丁といっても、何か具体的に思い当たる作品は浮かばない。挿絵では著名な作品を沢山担当したが装丁ではそんな出会いに恵まれなかったようだ。春仙の挿絵の代表作品といわれる森田草平『煤煙』(飛鳥書店、昭和22年)が復刻された時には、既に他界しており装丁のチャンスはなかったようで中川一政が担当している。この復刻版に森田草平「あとがき」があり「故名取春遷君の挿画を二十枚ほど転載させて貰うことにした。…1947年6月10日 森田草平」とあるが、Wikipediaの春仙の生没年は「1886年(明治19年)2月7



中川一政:装画、森田草平『煤煙』(飛鳥書店、昭和22年)

『名取春仙』(櫛形町立春仙美術館、平成14年)にも、74歳の時「1960(昭和35)年3月30日午前7時、妻繁子とともに高徳寺境内名取家墓前で服毒自殺」とあり、このことは昭和35年3月30日の夕刊で報じられているので、間違いないだろう。となると、昭和22年刊『煤煙』に森田が記した「故名取春仙君…」とは何だったのか。戦後間もない昭和22年に目黒区鷹番町に転居しているので、森田草平には誤報が伝えられたのだろうか? いずれにしても復刻は春仙に伝えられなかった。


大正3年刊行の時にも装画は沢枝重雄が描いている。



沢枝重雄:装画、森田草平『煤煙』(植竹書院、大正3年