300円均一で宮本三郎:挿絵多数掲載『お龍妖艶記』購入

仕事の打ち合わせに行く途中、新宿サブナードの古本300円均一で、元の古書価が1000円だった宮本三郎:画、三角寛『お龍妖艶記』(「日の出」新年号付録、昭和12年1月、写真左)や中沢弘光:装丁、与謝野寛『采花集』(金尾文淵堂、昭和19年1月、写真右)などを購入。


蔵書が一万冊近くなると、どこかで見た本なのか、所有している本なのか判らなくなり、同じ本を2冊所有することがふえているので、今日は安いからといってたくさん購入するのを控えた。
 購入時には、さし絵画家の名前が判らなかったが、さし絵のサインから、たぶん宮本三郎だろうと判断して購入したのだが、帰宅してじっくり眺めてみると、すばらしいさし絵が見開き(2ページにまたがる)で14点も挿入されていて感激。全部アップして紹介したいくらいですが、暇を見つけて一部だけでも紹介します。



「砂を撒くお化けカッパ」
「……それは薄暗い場所ながら、どうやら子供であることがわかったが、そいつが私を振返り振返り、にやにやしながら逃げるのだから、(畜生、どうも怪しい奴だ。)と思わざるを得ない。私はゴム底足袋の足音を忍ばせて、つッと走り寄ると、相手もつッと逃げる。目の前ですぐつかまりそうで捉まらない。みょうなこどもだ。……見るとそれは、お河童の女の子ではないか。」という場面だが、文章からは挿絵で描かれているほど早く走っている感じは受けないが、これが挿絵画家と作家の表現の差でおもしろいところでもある。
 背景の描写もすばらしいが、人物のスピード感のある動きや「このやろう」とむきになる天神先生の表情までもがよく描かれているのが、何ともうれしい!



下で馬になっている人物のおどおどした表情や誇りが舞い上がりそうな風景など文章以上に、読者に語りかけてくるのがいい。





 宮本三郎(1905−1974)は、明治38年5月23日、石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれ。川端画学校で藤島武二に学ぶ。二科会会員。昭和15年陸軍省嘱託として小磯良平等と共に中国へ従軍、17年「山下・パーシバル両司令官会見図」で芸術院賞受賞、18年「海軍落下傘部隊メナド奇襲」で朝日賞受賞、22年に熊谷守一、中川紀元、鍋井克之らとともに第二紀会を結成。 “写実の奇才”“色彩の魔術師”と評された。新聞連載小説の挿絵画家としても活躍。昭和49年没。